19年前の春、
つまりは1998年の春。
富山から300キロほど離れた愛知県で私は一人暮らしを始めた。
朝と昼は陽射しがいっぱい入る部屋で、
通りをはさんだナナメ向こうにデニーズがあって、
駅のほうへ行くために
少し歩くとコンビニがあって、週に1回だけカワイイ子がバイトしてた。
もう少し駅のほうにいくと
本屋と楽器屋と中古ゲーム屋があるとおりがあってその通りを
毎日のように歩いた。
もう少し歩くと八百屋とサティがあった。
毎日のように買い物をしてた。
サティは月曜だか火曜だか休みだった。
さらにもう少し歩くと駅があった。
駅の中にある小さなCD屋にもしょっちゅう行った。
1998年はけっこうCDを買った。
一人暮らしになってはじけたわけじゃないけど、CDは相当買った。
駅の向こう側に住んでる当時仲のよかった友人の家にもよく行った。
彼から本やCDをいっぱい借りたし、
パソコンのこともいろいろ教えてもらった。
あの頃はZIPファイルの解凍もできなかったし、
音楽ファイルをパソコンに録音することもできなかった。
今の自分だったら
どれぐらいのことを当時の自分に教えてあげられるんだろうか。
あの1年でいろいろ考えた。
これからの自分が何をしていくのか、どうなりたいのかいろいろ考えた。
確かな答えは出ないままだったけど、
ここにいることじゃないと思うようになった。
このままだと自分の未来が歪んでいくような気がした。
過去は変えられない。
今も変えられない。
未来を変えるしかない。
少し無茶なことをしてみたいを変えることにした。
最近、あの頃のことをよく思い出す。
なぜ思い出そうとするのか、自分で考えてみた。
歪みだしたのは、あの頃からだと知っているからだ。
歪みだしたまま、無理やり繋いだ未来が現在、2017年になった。
過去は変えられない
今も変えられない
もう未来を変えることもできない。
自分は、手にしたものの重さを受け止めていきていく。
不幸ではない。
幸せがいっぱいある。
自分なんかがもらっていいものではないぐらい大きな幸せをもらってる
歪んだレールに巻き込んでしまったのは自分だから、
自分はせめて彼らを素敵な未来へ導かなければいけない。
歪んだ世界で生きていくのは自分だけでいい。
歪んだ世界で死ぬのも自分だけでいい。
なんとなく終わりが近い気がするこの頃です。