こんばんは!えりなです😊
素敵なご縁に感謝

「日本書紀」はある言葉を取り上げて
「信憑性がない」と
論じられることがあります。
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)から
神武天皇までは150年ほどしか
経っていないにもかかわらず
「日本書紀」には
「179万年が経っている」
と書かれているわけです。
「たった3代さかのぼっているだけなのに
179万年とは大げさな。
こんなバカなことを書いているから
日本書紀は信頼性がないんだ」
といった具合に 「日本書紀」を
バカにするときの標的にされてきました。
しかし、瓊瓊杵尊の時代というのは
神々の時代だったわけです。
神々は今から1000年前にもいれば
今にも存在する。
これから 1000年経ったあとにも
当然いるわけです。
我々は時計を見て
時間というのは未来へ向かって
一方向に進むものだと思い込んでいます。
それって真実なのでしょうか。
実際、物理学のどの基礎方程式にも
時間の方向性を
示すものは入っていないのです。
たとえば、A地点からB地点まで
ボールが飛んでいるとしましょう。
その様子をビデオに撮り
その録画映像を逆再生してみたと
想像してください。
ボールが進む向きこそ変わりますが
逆再生でも、通常の再生でも
運動法則自体に変化はありませんよね。
つまり運動法則に時間は影響していない
ということです。
時間は人間が物事を理解・認識するために
便宜上『ある』としているだけのものです。
もしかすると、昔の人は
そのことを知っていたのかもしれません。
神々の存在を通して「時間は存在しない」
と理解していたのでしょう。
そもそも私たちの考える
「179万2470歳」と
イコールではないかもしれません。
というのも「歳」の漢字は
「歳時記」という書物があるように
「1年」のことをいいます。
つまり、「179万2470カ月」。
うるう年が4年に一度あることを踏まえて
これを計算式にすると
「1792470+2・3333333・・・・・・」で
物理的な時間としては108年。
それほどかけ離れた数字では
なくなってきます。
私が述べたいのは「古代の人はものすごく
深い知恵を持っていたのではないか」
ということです。
現代人の私たちには
理解の及ばない表現にぶつかったとき
一方的に決めつけてバカにするのではなく
もっと謙虚に「もしかしたら
そこに深い意味があるかもしれない」と
あらゆる可能性を考える必要があります。
先入観を排して
物事の真理を見極める姿勢が
古代という途方もなく前の時代のことを
理解するには大事なのです。
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