こんばんは!えりなです😊

素敵なご縁に感謝ラブラブラブラブ


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テーマ別はこちらからピンクハート

ネタは、石川真理子先生の【和敬美学の会(2023)】ほか、YouTubeや本など
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今日は、初の近現代史ひらめき電球

明治維新に関わるもう一つのお話を、
3回に渡ってお送りします立ち上がる


学校で、明治維新といえば
素晴らしいイメージとして教わりますが、

そんなことがあったの!?って話を
知ることができました🌱

それがコチラダウンダウン



天皇=神道
そんなイメージをお持ちの方が
多いのではないでしょうか??

実は、それは最近の150年くらいの話で
江戸時代までは
なんと1,400年、神仏習合だったのです!

しかも天皇自ら、神仏習合を推進し
宮中で仏教による行事を
国家法令として行うようになったとのこと。

"日本仏教の国" といっても
過言ではなさそうですガーン


では、なぜ仏教を取り入れたのか。
それは、国を守るためひらめき電球


神道は "信仰" です。
信仰とは、神様がいると信じて仰ぎ見ること。

神話では、悪さをしたスサノオが許されたり
アマテラスも弟が来たら、いきなり戦闘体制。

信仰だけで共通認識を持たないと、

これでは何も決められない状態だった

と考えられます。



そして…



知的に教養を持って仲良くしていくため

人間性を磨くのが大事!

という共通認識にしていくために、


仏教はきっと必要だった

ということなのでしょう。




しかし、この神仏習合が

明治政府によって突然変えられます注意


明治元年にかけ、西欧にならって

"国家神道" を

確立する動きが始まったのです。


◼︎神道の宣教師の組織づくり

◼︎仏教に関わる様々なものを破壊

◼︎お坊さんも辞めさせられる

◼︎仏教色のある "ご祭神の名前" を変更

◼︎葬式も神式に



神仏習合を推進していた天皇からは

お坊さんになった人もいたし、


何より、子孫が途絶えないようにと

たくさんいた側室は、尼さんになるという

行き場が失われてしまいました。


また、それまで神道では

結婚式も葬式もしていなかったので、

とても大きな影響のある

変更になってしまったのです。



ちなみに、

神社で結婚式が始まったのは大正時代。

大正天皇が初めてですひらめき電球


日本人なら、大昔から神前式でしょびっくりマーク

みたいな雰囲気醸し出しながら

意外と最近でビックリ凝視



しかも、天照大御神を頂点に

神々を系統立ててランクづけし、

特別な権威を持たせる

ということが始まりましたガーン!!


伊勢神宮の

内宮下宮の格付けをしたのもこの時期。



さらに、天皇が伊勢神宮を参拝したのは

明治天皇が初めてひらめき電球


こちらも、大昔から

毎年参拝しているように見せて実は最近凝視



また、明治元年から明治8年にかけては、

新しい神社を最も多く作った時期。


そこには、

鎌倉幕府以降の武家政権に対抗して

負けた人たちを祀り、

反徳川を象徴したのだとか。




なお補足ですが、出雲大社は

天照大御神の系統ではありませんが、

あまりに大きく

廃止にできなかったとのこと。



さぁ、ここまできて

皆さんはもう

感じていらっしゃるのではないでしょうか。


急にやることが極端ではないか??

廃止、破壊、ご祭神の名前の変更なんて

日本人のやることと思えないポーン


明治政府とは

一体どんな存在だったのか!?



ということで、長くなってしまったので

次回を楽しみに

お待ちいただければと思いますうさぎのぬいぐるみ


ではバイバイ