こんばんは!えりなです😊
素敵なご縁に感謝
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信仰だけで共通認識を持たないと、
これでは何も決められない状態だった
と考えられます。
そして…
知的に教養を持って仲良くしていくため
人間性を磨くのが大事!
という共通認識にしていくために、
仏教はきっと必要だった
ということなのでしょう。
しかし、この神仏習合が
明治政府によって突然変えられます
明治元年にかけ、西欧にならって
"国家神道" を
確立する動きが始まったのです。
◼︎神道の宣教師の組織づくり
◼︎仏教に関わる様々なものを破壊
◼︎お坊さんも辞めさせられる
◼︎仏教色のある "ご祭神の名前" を変更
◼︎葬式も神式に
神仏習合を推進していた天皇からは
お坊さんになった人もいたし、
何より、子孫が途絶えないようにと
たくさんいた側室は、尼さんになるという
行き場が失われてしまいました。
また、それまで神道では
結婚式も葬式もしていなかったので、
とても大きな影響のある
変更になってしまったのです。
ちなみに、
神社で結婚式が始まったのは大正時代。
大正天皇が初めてです
日本人なら、大昔から神前式でしょ
みたいな雰囲気醸し出しながら
意外と最近でビックリ
しかも、天照大御神を頂点に
神々を系統立ててランクづけし、
特別な権威を持たせる
ということが始まりました
伊勢神宮の
内宮下宮の格付けをしたのもこの時期。
さらに、天皇が伊勢神宮を参拝したのは
明治天皇が初めて
こちらも、大昔から
毎年参拝しているように見せて実は最近
また、明治元年から明治8年にかけては、
新しい神社を最も多く作った時期。
そこには、
鎌倉幕府以降の武家政権に対抗して
負けた人たちを祀り、
反徳川を象徴したのだとか。
なお補足ですが、出雲大社は
天照大御神の系統ではありませんが、
あまりに大きく
廃止にできなかったとのこと。
さぁ、ここまできて
皆さんはもう
感じていらっしゃるのではないでしょうか。
急にやることが極端ではないか
廃止、破壊、ご祭神の名前の変更なんて
日本人のやることと思えない
明治政府とは
一体どんな存在だったのか
ということで、長くなってしまったので
次回を楽しみに
お待ちいただければと思います
では