面白くなさそうなドラマに思えたが 見続けているうちに役者さんたちの掛け合いがすばらしいことに気づく。コメディアンよりうまいシーンがたくさんある。時代背景として、政治体制が一新したのちの藩士は 俸禄が途絶えちょんまげを切って 家業を興し自立しなければならなかった。しかしうまくゆかずに日本中で藩士の没落が生じた。
小泉セツ
小泉セツはラフカディオ・ハーンの妻として生きた。
https://www.hearn-museum-matsue.jp/exhibition-setsu.html
藩士の没落
小泉湊は小泉セツの実父。
小泉湊=小泉弥右衛門湊
初代弥右衛門は近江を本国、生国は因幡の侍で、のち松平直政に召し抱えられ、2代目以降は番頭に昇進する家格を確立。嫡子は家督と同時に「組外」という格式(他家の采配下に入らない特別の身分)を与えられ、湊に至る8代まで、この系譜は維持されます。
小泉家は松江藩における上級家臣の家柄で、代々番頭(ばんがしら)を務め、家禄は300石と伝わります。松江藩における三職(家老・中老・番頭)を務める家は、1000の藩士のうちわずか50家。どれほどの家だったかがわかります。
小泉湊は徳川幕府軍の長州征伐(1864年)で武功を挙げた。
嘉永4(1851)年、15歳となった湊は、塩見増右衛門の娘チエと結婚。チエは「ご家中一の器量よし」と言われた美人でした。
明治維新後 会社を立ち上げ(織物工場?)、当初は順調であったかが時勢の変化で売り上げは低迷。やがて会社は倒産してしまいます。家運が傾く中、湊自身もリウマチを患って寝込むようになりました。
明治20(1887)年5月、湊は帰らぬ人となりました。享年51。
https://mag.japaaan.com/archives/259069
小泉チエ
小泉セツの実母・小泉チエさんは、1837年3月に松江藩の家老、塩見家の娘として生まれました。実家の屋敷は、2100坪ほどもあったそうです。藩内一の器量よし。
1851年、チエさんは14歳のときに1歳年上の小泉湊さんと結婚します。生後7日で親戚の稲垣家に養子に出したセツさん(1868年2月生まれ)を産んだとき、チエさんは満30歳でした。
夫の湊さんが1887年に病死した後、生活のすべがなく、家財を売り払って最終的には物乞いをするようになったそうです。セツさんを預けた稲垣家も借金に苦しみ、実家の塩見家やその他の親戚も軒並み零落しており、彼女は誰も頼ることができない状況だったといいます。
1896年には、チエさんからセツさんに感謝の手紙が送られた記録が残っています。その後、彼女は大阪に移り住み、1912年1月に74歳で亡くなりました。(小泉セツはたくさんの親戚縁者を支援しています)
徳川幕府の幕臣たちの悲惨な末路、薩長同盟軍が起こした改革は革命的だったといわれるゆえんでしょう。背景の時代の流れをとらえながらこのドラマを見るのも面白いかもしれませんね。




