英語に体当たり!上達法は発想の転換から

英語に体当たり!上達法は発想の転換から

英語が使えない。成績が上がらない……。ああ、もう生まれつきダメなのかな、と諦めかけてません? まだ早いですよ。ダメなのはあなたの勉強法であり、それを支えるあなたの生き方そのものだとしたら? 結局、生き方を変える以外に、上達の方法はないのでは?

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Ψ 英語圏以外の作家も読もう


読解力をつけるには、やはり多読に心がける必要があります。

でも読む本は必ずしも英語圏の作家のものでなくても、
以前紹介したような日本のものの英訳でもいいし、
また英語以外の言語から英訳されたものでもいいんですよ。

たとえばロシア。

19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍した
アントン・チェーホフなんか、どうでしょう。

現代の村上春樹にいたるまで
日本文学に大きな影響を与えてきたメジャーな作家ですし、
面白く、かつグッとくる短編がたくさんあります。


ただ、自分に合う世界かどうかは
読んでみないとわからない部分もありますので、
まず日本語で読んでみるのも手ですね。

たとえばこんな本を覗いてみては?










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Ψ 「箱に入った男」のあらすじ


ここでは、チェーホフの短編のうち、
「箱に入った男」(1898)を紹介してみますので、
検討してみて下さい。


主人公ベリコフは四十すぎで、中学校のギリシャ語教師。
「部屋着にナイトキャップ、鎧戸、扉の閂(かんぬき)、
それに一連の禁止事項に制限事項」で
自らをがんじがらめにし、
「要するに、『ああ、問題が起こらなければいいが!』という思想」
に生きている、それこそ「箱に入った男」。

このベリコフの勤める中学校に、
ウクライナ出身のコワレンコという若い教師が赴任してくるのですが、
これがワーレニチカという、三十歳ぐらいの姉を同伴して来たのですな。

まずは美人の部類に入る、よく笑う活発な女性です。

で、この人と「箱に入った」さえない四十男ベリコフとの間に
結婚話が発生します。

ええー? 信じらんない!
と今の若い日本人なら思うでしょうが、
そこは時代を考えましょう。

三十歳はもう完全な老嬢。
へんちくりんな男でも、中学教師ならまあ結構やおまへんか……
ということになるのではないですか。
(中学校への尊敬度も今の日本とまるで違います)

 

そして、そしてです。
ここからが佳境ですが、
あなたもご推察のとおり(あるいは思いもよらなかったように)、
この話はブチコワシになります。

そしてベリコフはその直後から
もはや、ワーレニチカが何を言ってもベリコフの耳には届かず、
何も目に入らない。自分の家に戻ると、
まずテーブルから彼女の肖像写真を片づけ、
それから横になると、そのまま起き上がらなかった。

ベリコフはこのまま、一か月後に死んでしまうのですが、
棺に納められたベリコフの表情はおだやかで、
気持ちよさそうで、陽気なくらいでした。
金輪際出なくていい箱に納められてよろこんでいるようでした。

というんですな……。

こういう人もいるんですね。
ベリコフはもちろん極端な造形ですが、
傾向として似ている人ならたくさんいます。


 

Ψ 風物としての「自転車」


ところで、この結婚話がブチコワシになる経緯を詳しく語らなかったので、
気になっている人もいるかもしれません。
これからお話ししましょう。


ストーリー上の要をなすこの事件に
必要不可欠な小道具として導入されているのが「自転車」なんですな。

ある日、ベリコフが同僚の「私」(語り手を兼ねる)と歩いているところへ、
コワレンコとワーレニチカの姉弟が自転車に乗って通り過ぎます。

「お先にー!」と快活な声を張り上げて。


と、ベリコフは、
顔面蒼白になって、まるで固まったよう。
立ち止まって、私の方を見て……。
「ありゃ、いったい何事です?」と訊いてくる。
「ひょっとしたら、私の目の錯覚でしょうか?
中学校の教師やご婦人が自転車を乗り回すなんて、
まともな人間のすることでしょうか?」

夏目漱石が自転車乗りに挑戦したのも、
ロンドン留学中の1900-01年のころで(「自転車日記」参照)ほぼ同時期。
このころの自転車は、今のスマホかそれ以上に
新しい風物だったわけです。

すっかり体調を崩したベリコフ、
学校も早引けし、夕方、意を決してコワレンコの家を訪ねます。

教師が自転車をこぐなどということは
「官報で許可されていない以上、それはまかりならんのです」
と注意するのですが、
血の気の多いコワレンコはこれに反駁し、
口論になってしまうんですね。

しまいに玄関口から階段の踊り場へ出ながら、
ベリコフが「校長先生に報告」云々を口にすると、
ワレンコは逆上し、襟首をつかんで、どんと突き出してしまいます。

階段を転げ落ちてしまったベリコフを、間の悪いこととに
ちょうど帰宅したワーレニチカが目撃します。
ベリコフが自分で転げ落ちたものと勘違いして、
「アッハッハッ!」
と建物中にひびく声で笑い出し、
これにて「一切が終わりを告げた」のですな。

もちろんベリコフの反応はあまりに保守的で
周囲に呆れられているわけですが、
こんな人もいたろうなあ。いるよな、今の日本にも……
と思わせるに十分です。

「箱に入った男」は、そのような一典型(タイプ)を
深いユーモアをもって描き出した、
珠玉の悲喜劇短編といっていいと思いますが、
その傑作の成立に欠かせない小道具として、
「自転車」という風物もあったわけです。

もしこれに着目するならば、
感想文はさらに高度なものとなるでしょう。
(評価されるという保証はありませんが)

ともかく、これで書けるでしょう。
書けちゃったら、どこかへ繰り出し一汗かきませんか?
――もちろん自転車で。