こんばんは~!
*aki*です
今回のブログは
*センシティブな表現がされているため、閲覧にご注意ください*
(センシティブな内容が苦手な方は、他のブログをお読みくださいませ)
ブログを書ける時に書こうと、時間を見つけては下書きを保存したりしています
しかし、思い出しながら書いているので記憶やブログ内容が前後している可能性があります……
こども園に通っていた頃は、公共交通機関で通園していたため道路やホームなど、興味があると一直線に走り出すので本当に捕まえるのが大変でした……
本人は、追いかけっこのように遊んでいると思っているのでしょうが、こちらは必死です。車や自転車に轢かれないように、人にぶつかって怪我をさせない、しないようにと……
今思えば本当に運が良かったことが多々あり、道路に飛び出した時は生きた心地がしませんでした。
(幸い、車などが通っていなかったので怪我はしませんでしたが……)
視覚優位なのかこちらの声は全く届いておらず、いくら大声で我が子の名前を呼んでも、立ち止まってくれることはあまりありませんでした。
5~6回呼んで気付いてくれるならまだ良い方で、ほとんどは我が子を捕まえられた時か、怒っている時にようやく気付いてくれることが多かったです。
外出先でも同様に、手を繋いでいても興味があれば即座に手を離して走っていく……
こども園に通っていたお陰で2語文が出るようになり、少しずつ2語文での会話が出来るようになりました。(2歳半を過ぎてから)
今なら、保育士の先生方の大変さや配置状況をニュースでも見ることがあるので理解できますが、こども園に通っていた頃の私は、本当にいっぱいいっぱいで必死過ぎて余裕もなかったので「先生なんだから、ちゃんと見てよ!」なんて思っていたことがありました……
本当に全国の保育園、幼稚園、こども園の先生方、いつもいつも子どものためにありがとうございます!!!
こども園の入園式の後に、ショッピングモールへ行きたい(電車を指差して、私の手を引っ張って行ったため)と我が子が伝えてくれていたので、入園式で疲弊していた私はで一刻も早く帰宅したかったのですが「少しだけだよ」と言って、連れて行きました。
本当に余裕もなく、精神的にも肉体的にも疲弊していた私は1分でも1秒でも早く帰宅したい!と思っていましたが、我が子がキャラクターもののカートに乗りたい!と、引っ張って連れていかれた時も「じゃあ、少しだけね」とイライラしながらも、我が子を乗せてその辺を早歩き?しながらカートを押していました。
限界だった私は「もう帰るよ」と我が子を抱っこ紐に入れて、何とか最寄りの駅まで行くことが出来ましたが案の定、我が子はギャン泣き。
揺らしながら待っていましたが、こども園の入園式のこともあり、本当に精神的に限界で多少の荒い揺らし方をしてしまっていたと思いますし、イライラしていたので他の電車待ちの方たちに白い目で見られていましたと思います。
周りから見れば、子どもに優しくない母親にギャン泣きする子ども。
私の方を見て、ヒソヒソと話すカップルもいました。
そりゃあ、誰も私の辛さや状況について知らないのは当たり前ですが、本当にあの時は子どもの育てにくさと精神的な辛さ、もう疲れた、早く楽になりたい、死にたいと泣きそうなところを何とかギリギリのところで堪えて帰宅した記憶があります。
(帰宅して号泣)
他にも我が子が1歳になる前ぐらいの時には、役所から妊婦さん向けの?給付金の書類が届き「出産して、もう1歳になるのにうちの子は存在していないってこと!?」とクレームの電話を入れたこともありました。
(電話口の女性の方は「なんで私が?関係ないのに……」というような感じの謝罪で、上司の方に代わっていただいて改めて謝罪をしていただきましたが、誠意が感じられなかった……)
今思えば、本当に精神的に危なかったと思います。
子育てで上手くいかないとすぐに「死にたい、死にたい」と母にLINEしては、常に精神的に限界を越えて病んでいたのですから。
本当は精神科とか、カウンセリングとかに行くべきなんでしょうけれど、自分自身を押し潰して無理やり抑えて平気なフリして子育てをしていました。
そうするしか、自分の元で我が子を育てる方法はないと思ったからです。
書きたいことがたくさんあったので、タイトルの内容とは違うことをたくさん書きましたが……
さて、ここからはタイトルの内容について書いていきますね
我が子の場合ですが、私が育てにくいと感じたのはいくつかありました。
手を繋がせてくれないのもありましたが、プラレールやトミカが好きなので1歳ぐらいの頃は、車輪を回して眺めるのが好きだったりその場で立ってくるくる回るのが好きだったり、我が子に対して「なんか、変だな……」と思ったり、こちらの言っていることは分かっているようですが、返事がなかったり他の子とは何か違う……と感じてからは、発達障害や自閉症スペクトラム障害などについて調べることが増えました。
「男の子は話すのが遅い」ということに「じゃあ、うちの子はそれぐらいの年齢になったら話すのかな?」と過剰に気にしたり「いただきます」「ごちそうさま」などの挨拶にも厳しく教えてしまっていたので、その時になると我が子は泣いてしまうことがありました。
(現在は、元気よく挨拶してくれます)
「もしかしたら、何か障害があるのかも……」
「いやいや、何日かすると喋るよ」など勝手に期待しては、勝手に絶望して……
我が子が発達障害かも知れないと、受け入れるにはやはり少し時間がかかりました。
当然、否定的な感情もあって「大丈夫、うちの子は大丈夫」と自分自身に言い聞かせたりもしましたが、上記のような行動が気になるくらいに目立っていた時期もあったので都度、我が子の名前を呼んだり「やめなさい」と止めたりしていました。
しかし、いつしか「本当に何か障害があるのかも」「親である私が受け入れないと私自身もしんどいけど、何より我が子がかわいそうだ」と思うようになりました。
行動も現実に起こっていることで、他のお子さんを見ては焦ったり期待したり絶望したりもしていましたが、ふと「我が子を他の子と比べてどうするの?我が子は我が子なんだから、私が受け入れないでどうすんのよ!」と、我が子のことを受け入れようと決めました。
我が子について、何かしらの障害があるのかもと受け入れたとしても、やはり会話が出来ていなかった時期が長かったので「本当に、我が子と会話できるようになるのかな……?」「早く会話したい」という不安も、勿論ありました。
しかし、親子間での会話については我が子がジェスチャー(指差ししたり、手を引っ張ってその場所へ連れていってくれるなど)で教えてくれるし、私の話は通じているようなので特に問題に思うことはありませんでした。
こども園は半年ほどしか通っていませんでしたが(後に登園拒否)、始めは出来なかった遊具も登ることが出来たり、パズルが好きで完成するまでは帰らなかったり……
通ったことによって、出来るようになったことが少なからずありました。
そして、私が我が子について受け入れたことによって感じた変化というのが、私自身やはり精神的に楽になったところ。
何に対しても「ま、発達障害かも知れないからなぁ……」と、出来なくて当たり前だと思えるようになったのと他のお子さんたちと比べることがかなり少なくなりました。
(そもそも、他のお子さんのことを気にすることがなくなった)
他にも「いつかは成長するんだ」と前向きに思えるようになったこと。
ほんの少しずつでも、確実に成長していることが分かるようになり、我が子は我が子のペースで今日も成長している。
きっと、いつか会話することも出来るかも知れない!と希望を持てるようになりました。
3歳半過ぎには、3語文や割と長い文章?も話せるようになりました
次回、我が子の発達・成長具合について
ではまた