気づきー自分のために今日の思いを記すー | 人生はrhapsody~ひたむきにメロディを奏でる ~

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肺高血圧のこと ぼやいて ほざいて
やがて 笑って受け容れるべく 
騒がしい毎日。

一番大切なことは、

一番大切なものを失った自分を

受け容れること。



ある宗教学者の著書に書かれていたのよと、お姉さん的存在の仕事仲間女性から教わった。


一番とはいわなくても、大切なものを少しずつ失いながら、私たちは生きている。
誰もがそうだ。

若さも、健康も、お金も。
程度の差はあれども、必ずや皆、少しずつ失いながら、それでも命ある限り生きねばならない。

そこに何らかの意味があるはず。

意味のない生なんてない。

何かを失ってゆくのは、きっと、何かを得るスペースを作るためなのだろうと思う。


今、私の肺の血管床(肺の毛細血管で酸素と二酸化炭素を交換する場所?)は、半分くらい血栓が詰まっていて機能していない、詰まった血栓が今後溶けることもない、これ以上、血管床が増えることもない。であっても、私が生きて何かを得続ける意味があるはず。


言葉を教えてくれた彼女は、私が、慢性ではなく急性肺血栓塞栓症(エコノミークラス症候群)で緊急入院する数日前に会っている。その時、私は、直接的に、ほん目の前に死がぶら下がっていて、三歩歩くのがやっとの状態だった。その数日後、私は、地元の病院で、心臓が止まっていない状態でここにいるのが奇跡だよと言うのを縮めて「よう来たな。」と院長に言われ、そのまま有無も言わせずに絶対安静入院となった。

彼女は、私でなく、一緒にいた別の仕事仲間にその言葉を披露したのだが、私にも聞いてもらいたかった言葉だったのだと感じた。

難病なんかになって、私自身の人生大きく変わり、一番大切な家族の人生をも大きく変えてしまったのは事実ではあるが、誰だっていろんなものを失っていて、それがたまたま私は肺の血管床だったのだと考えたら、自分の人生は、ごく普通の人生であって、悲劇の主役でも何でもないと思えるようになった。

明日、朝日が昇ったら、私が!私が!でなく、もっと周りの人に温かく接することができそうだ。