お天道様は見ている、阪神淡路大震災で亡くなった叔母ちゃんに、そう教えられた。叔母ちゃんは、足の病気で入院していた頃、毎朝、病院の屋上であけぼのの空に向かい、日の出を眺めてお天道様に拝んでいた。
昨年の夏、私が肺高血圧から何とか立ち直りかけているとき、仕事関係先から御中元が届いた。
ワーファリンを服用している私に、禁忌の納豆だった。
知っててわざと贈ってきたことを直感でさとる。開けた箱のふたを持つ手が少し震えた。
しばらくあとで、叔母ちゃんに教えられた「お天道様は見ている」が、
頭に浮かんだ。
病気を治す!だけど、憎しみや悔しさや悲しみを晴らすことを治療のモチベーションにするのは、絶対に止めようと思った。お天道様は見ている、だから人を恨むまい、人に恨まれるようなことをするまいと。
そう誓って過ごしてきたつもり。
風の便りで、私に納豆を贈ってきた人が四月に病気で入院していたことを知った。
やっぱりお天道様は見ていると思った私がいた。その人が病気になったことを、ほくそ笑んだ。
叔母ちゃんは、そんな意味で私に「お天道様は見ている」と教えたのではない。
難病になって、病気の辛さや不安を経験してきた私が、人が病気になったことを喜んでいる。
物凄く、物凄く、物凄く、自己嫌悪。
お天道様は見ている、恥ずかしい生き方をするのは、やめよう。