10月16日
脱線は数十行にわたって続く。そして次の詩行で「認知」の現在に戻る。
τὴν γρηῢς χείρεσσι καταπρηνέσσι λαβοῦσα
γνῶ ῥ᾽ ἐπιμασσαμένη, πόδα δὲ προέηκε φέρεσθαι: (19-467,8)
それ(傷痕)に老乳母は掌で(足を)とっていて
擦って気づき、足を手から放した
ἐν δὲ λέβητι πέσε κνήμη, κανάχησε δὲ χαλκός,
ἂψ δ᾽ ἑτέρωσ᾽ ἐκλίθη: τὸ δ᾽ ἐπὶ χθονὸς ἐξέχυθ᾽ ὕδωρ. (19-469,70)
脛は盥の中に落ち、青銅はカラカラと鳴り
反対側に傾いた。そして水は地面にこぼれた
動作と物の動きを客観的に描写している。淡々とした筆致、いや語調だ。それが却って老乳母の驚愕の深さを浮かび上がらせている。
昨日「Ὀδυσσεύςオデュッセウス」の変化形のことを記した。どこかでそのことに触れた記述を呼んだことがあったはずだと思って、探したら出て来た。中務哲郎「『オデュッセイア』におけるポリュペモス譚について」という論文だ。読み返していて面白い箇所を見つけた。「Ὀδυσσεύςオデュッセウス」の変化形の一グループとしてエトルリア語形があり、その形にUtuze、Uthuze、Uthusなどがある。ツイーグラーという学者は、『オデュッセイアー』第九歌のポリュペモス譚における「Οὖτίςウーティス」はこのエトルリア語形の存在を踏まえたものではないか、との説を提唱しているというのだ。
「ウーティス」の挿話についてはその箇所でも取り上げた(5月10~12日の項)。オデュッセウスの「私の名は『Οὖτίς 誰もおらぬ』です」との言について、上記エトルリア語形との関係については、いくつかの可能性が考えられる。
①オデュッセウスは底意無く自分の名(のエトルリア語形)をありのまま名告った。
②オデュッセウスは巨人を陥れるつもりで自分の名のエトルリア語形を利用して名告った。
③オデュッセウスは巨人を陥れるつもりで(エトルリア語形と関係なく)名告った。しかし、そう名告らせた詩人の発想の源にはエトルリア語形があった。
④オデュッセウスは巨人を陥れるつもりで(エトルリア語形と関係なく)と名告り、詩人もエトルリア語形は知らなかった。即ち、ツイーグラー説の否定。
上記のそれぞれの可能性の評価は、①は狡知長けたオデュッセウスらしくない、②は詩編の他のどこにもそのエトルリア語形への言及がない、ということから③か④が残る。どちらもありそうだが、③の方が詩人の創造の舞台裏が想像できて楽しく、③をとりたいと思う。