7月14日
オデュッセウスは牛飼の家の入り口に着く。
ἐξαπίνης δ᾽ Ὀδυσῆα ἴδον κύνες ὑλακόμωροι.
οἱ μὲν κεκλήγοντες ἐπέδραμον: ・・・ (14-29,30)
突然、オデュッセウスをやたらに吠える犬共が見つけ
吠えたてながら飛びかかってきた・・・
情景が目に浮かぶようだ。特にἐξαπίνης [eksapinês](突然)が利いている。不意に現れたわけだ。
ὑλακόμωροι [hyûlakomôroi](やたらに吠える)はὑλάω(吠える)から派生した単語だが、このὑλάω [hyulaô] は擬声語に違いない。
今朝のテレビで見た外人インタビューは面白かった。秋葉原を訪れている外国人に日本の印象などを尋ねる番組だ。どの外人も日本語がの流暢なのには舌を巻く。そのうちの一人が「好きな日本語は?」と訊かれて「座る」です、と答えていた。なぜかというと、「座」という字が「笑った顔」に見えるからだという。そういわれてみるとそうも見える。
漢和辞典をみると「座」は「广(まだれ)」+「坐」であり、「坐」の会意は「向き合う二人が土に膝を付けてすわるさま」とあるから笑顔と何の関係もない。それにしてもユニークな見方をするものだ。こんな風に、外国人の方が(母国語でない)言葉に対してより新鮮な目や耳を持っていることはある。そうした目や耳は、とんでもない勘違いの危険を伴いつつも、言葉に時として新たな光を投げかけることがあり得る。