9月4日


ペーネロペイアに再び問われて、テーレマコスは今度は答える。メネラーオスから、父オデュッセウスはカリュプソーの島に留め置かれていると聞いた、と。

脇にいた例の予言者テイレシアースが続ける。


ἦ τοι ὅ γ᾽ οὐ σάφα οἶδεν, ἐμεῖο δὲ σύνθεο μῦθον: (17-153)

その方はよくご存じないのです、私の言葉をお聞き下さい


「その方(あるいは、この方)ὅ γ᾽」はテーレマコス、メネラーオスのどっちを指すか、二説ある。後者ととる方がよさそうだ。主人(テーレマコス)の面前でその主人が言ったことを客人(テイレシアース)が否定するのというのも、いかにも考えがたいので。

そしてテイレシアースは、オデュッセウスが既に帰郷していて、求婚者征伐を図っておられると告げる。それに対してペーネロペイアは応える。


αἲ γὰρ τοῦτο, ξεῖνε, ἔπος τετελεσμένον εἴη: (17-163)

客人よ、もしその言葉が実現されることであればよいのですが


 と半信半疑、というよりほとんど信じていない様子だ。似たような偽りの消息を何度も聞かされてきたのだ(7月26日の項)。


昨日の「人類にとっての声」に関連して、ギリシア語「μέροψ」に触れたい。

この「μέροψ」は「人間ἄνθρωπος」にかかるホメーロス愛用の枕詞的形容詞だが、その語義は不明だ。不明ではあるが有力と思われる説は二つあって、一つは「死すべき」、もう一つは「声持つ」だ。この二説対立が決着を見ることは恐らくないだろう。しかしこの対立で興味深いのは、「声」が「死」と並ぶくらいに人間にとっての根源的な条件であることに気づかせてくれることだ。