9月26日
さてペーネロペイアが広間に出て来る。まず、テーレマコスに対し、乞食への手荒な扱いを許したことを諫める。次いで、求婚者達に対し、おぞましいながら婚礼の時が来るでしょう、しかしまともな求婚者なら進んで牛や羊、様々な贈り物を持って来てしかるべきですと言う。それを受けてのオデュッセウスの反応が次の詩行だ。
ὣς φάτο, γήθησεν δὲ πολύτλας δῖος Ὀδυσσεύς, (18-281)
そのように言うと、辛抱強く貴いオデュッセウスは喜んだ
οὕνεκα τῶν μὲν δῶρα παρέλκετο, θέλγε δὲ θυμὸν
μειλιχίοις ἐπέεσσι, νόος δέ οἱ ἄλλα μενοίνα. (18-282,3)
なぜなら彼らから贈り物をせしめんものと、心を
甘い言葉でたぶらかし、心中では別のことを企んでいたので
いくつかの問題を含みつつなかなか興味深い一節だ。
まず、オデュッセウスはこのとき初めて我が妻ペーネロペイアに再会したはずだ。特別の感懐があって然るべきなのだが、それには一切触れず、「喜んだγήθησεν」とある。それも再会を喜んだのではなく、「贈り物をせしめんとして」「甘い言葉でたぶらかし」たことをだ。また、オデュッセウスはまだペーネロペイアの心中を知るよしもないはずなのだが、それを知っていたことになっている。
そういう風に理詰めで考えるといろいろ議論があるかもしれない。しかしいかにもオデュッセウスらしい一節であることは間違いない。というのは、嘘や策略が大好きなオデュッセウスのことだ、久しぶりに会った妻がその能力を如何なく発揮しているのを見て何よりも先ず「さすが我が妻」と喜んだ事はありそうだ。そして妻の心中については、普通の夫ならいざしらず、聡いオデュッセウスのことだ、一瞬で見抜いたこともありそうだ。
トゥルニュを発つ。朝に夜に見たサン・フィリベール教会は見納めだ。五日間お世話になったホテルともお別れだ。ホテルの女主人にはまだ小さい子供がいるが、こういう教会を日々見て育った子は知らず知らず心に刻印されるものがあることだろう。
リヨン経由ピュイに向かう。途中リヨンで旧市街散策。といいたいところだったが、散策とはとても言えない土砂降りの雨。雨の石畳もこれまた風情があると負け惜しみを言ってみる。熱いカフェオレで一息つく。
秋雨は敷石にカフェオレは胃に 拙作
山岳鉄道のような鉄道でオーヴェルニュ地方の聖地ピュイに到着。道中信州風景に似ていると思う。
夜は名産のレンズ豆を食べる。これが素朴な味で旨かった。