次生よ〜!
目を覚ましなさい〜!
覚醒しなさい〜っ!
あっ!うわっ!お兄ちゃんー
ホンマに「悪いヤツや〜」!なぁ〜?
覚醒とは・・・
- 目がさめること。目をさますこと。また、意識をはっきりさせたり興奮させたりすること。
- 迷いからさめること。迷いをさますこと。とある。
つまり
あれ?なんか?あれ?おかしいな?
正しい事をしてきた人達!と、勝手に思ってた!が、
ありゃ?
なぬっ?
ちょっと待てよ?
狡い事して兄弟姉妹を騙して来てないか?
独り占めしてるやないかい!!!
子孫が祟られてもわからない、見えないのである。
先祖が怒ってるぞ〜!
罰当たるぞ〜
子孫が祟りに合うぞ~!
と、言ってもこの人達には馬の耳に念仏。
何故か?人間に初めてなったからである。
この輩は、毎日毎日瞬間瞬間が地獄の苦しみの中で生きているから、常に満たされることがないから、不平不満が身体中から滲み出ている。が、当の本人はわからないのである。
他人の時間を盗んで暮らしている
。
因果応報の法則を知らないのだ。
「覚醒」とは・・・
良い人やん!と思っていたがおかしい?
あの人?本当にいい人か?
狡いことやってないか?
凄く狡いことやっとるがな!
な〜んや!独り占めしておるやないかい。
他人からどう思われどう悪く言われているかがこの輩は気にかけるのである。
まさか、「良い人」と言われると思っていないであろう?
小心者の小金持ちの趣味は「盗聴」!である。
人は、一度「良い人達」と思うと、「本当は、胡散臭い人」を、いや?良い人ちがうがな、あかん奴やがな?悪い奴やないかい?と思う事はない。
しかし、この輩は気付きそうな者に次の一手を下す、愚かにも。
その一手が致命的なのだ。
相手にマウントを取ろうとし自滅する。
こんな輩に取り憑かれると、安心という名の「疑念」を持たずに生きていくと、あっ!という間に禿げるか白髪になるかである。
しかも自分の人生を歩む事なくこの輩にボロボロにされて死んでいくのだ。小説「モモ」のように。
この輩がチラつかす、「安心」「安全」も胡散臭いのだ!
所詮、こ金を貯める事でしか「安心安全」を確保出来ない輩は常にこの腐った金を抱きしめ不安の中で生きている。周りに何かと当たり散らすから疲れる。
こんな輩に小金を少々もらって大切な人生を棒に振る人達もいるのである。
哀れである。たった一度きりの人生やなに。はした金の為に・・・
こんな狡い方法で分けなければならないモノを分けずに登記だけで法律的に逃れる事ができても、天網恢恢疎にして漏らさずである。
きっと後悔するであろう。
全て隠し財産も含めて没収され、挙句の果てに刑事告訴されるであろう。
この小金の安心安全ほど恐怖と苦しみを伴うものはない、ことを輩は知る由もない。
人は、「変化」を望まない!
このテーマで本一冊は書けそうである。
次生は変化を望んできたわけではないが、ある日「覚醒」するのである。
どうも「覚醒」するといても立ってもいられないのである。
仕事にしても人間関係にしても。
父保三も権威権力名聞名利の鎧を着たまま死んで行ったのだ。
そこいらの商売人が少しくらいの小金を貯めこんだところで一番嫌いな遺族が使ってはい!ポテチン、ご苦労さまである。
腐った小金は没収されていく。
次生は変わった母親に育てられたせいか「覚醒」毎に高く広く深い方へと進んできた事を本当に良かったと感謝して今を生きている。
「覚醒」すると、吹っ切れる。
「覚醒」すると、人間関係がガラリと変化する。
「覚醒」すると、人生が楽しくてしかたがなくなる。
何故か?
それは、「覚醒」すると物事を俯瞰できるからだ。
しかし「覚醒」だけでは「覚醒」がかえって苦しみになる場合がある。
「覚醒」して「勇気」を持って未知の次元に自らが飛び込むのだ。
つまり、「覚醒」➕「勇気」=高尚な人間になれるのだ。
見えなかったモノが「鮮明」に眼前に現れるのである。
前世で約束した事が。
先祖からの使命が。
鮮明に現れるのである。
「胡散臭い人間」ごとき秒殺で消えていくのだ。
そして、人間関係が一掃される。
次に新たに次元の高い広い深い人達との出会いがあるのである。
これは体験しないとわかるまい。
要は1度きりの人生を毎日毎日同じ事を繰り返し繰り返しで死を迎えることは 「意味がない!」
とハッキリ言えまいか?
変化しないで何が楽しい?
変化しないで人が育つか?
変化しないで人生を全うできると思うか?
答えは、「否」である。
次生は変化しまた変化し、またまた、変化し
覚醒しまた覚醒しまたまた、覚醒してきたから断言できる。
守りに入るな!コガネを貯めるな!人を育てよ!
同じ日々を暮らす人間には無理であろう。
そもそも「勇気」がない人達だからである。
目の前のこ金集めで徒労の人生終結である。
何が楽しい?