次生は吉弘が中学の英語教師になっているのでホッとした。
あの比叡山、山頂でやせ細った駅員姿の吉弘は似合わない!と思っていたからである。
初子からは吉弘が英語の中学教師を大阪門真市でしている、と聞いていたのであるがやはり次生は直接吉弘に会って見たかった。
学生運動も地下に潜り一見すると、世の中は明るく新時代を迎えたようになった。
まさに、夜明け、啓蟄である。
学生運動が東大安田講堂事件を国家権力による暴力的解決により表向きは鎮静化していった。
東大事件は、全学共闘会議および新左翼の学生が東京大学本郷キャンパス安田講堂を占拠していた事件と、大学から依頼を受けた警視庁が約8500人もの機動隊を導入して1969年1月18日から1月19日に封鎖解除を行った事件である。
東大安田講堂攻防戦、東大安田講堂占拠事件ともいわれた。
そもそも東大事件の発端は、1969年1月18日医師のインターン制度廃止にともなう登録医制度への反発から起こったのだ。1年間無料で働けっ!なに〜💢が、原因であった。
京都の学生運動も翳りがみえた頃。
週始めの月曜日の全国各地の新聞の第一面は「暴走族」の記事で埋められていくのである!
おはよう!松ちゃん!
おはようっ。
なぁーて?松ちゃん?
なに?
今日の京都新聞みたぁ?
見てないー。はい、おはよう!
なぁーて、あれな?伊藤くんちゃう?
なんや、伊藤て!
あの写真やん?今日の京都新聞1面に暴走族の写真がな載っててな、誰が見ても伊藤くんに似てるで?
賢いグループの友達が囁いた。
なぬっ?ヤバくね正人?次生は思った。
昨日は?違うな、昨日違うわ。あっ!
あっ!土曜日やーーーー。
土曜日の深夜やな〜。
五条通りを山科に向かって大阪の暴走族コブラ、神戸の堕天使、京都の聖など沢山のグループが初めて京都で集合し、市内を信号無視し、自由に爆音と共に亀岡市から滋賀県まで走りまくったのだ。
先頭に数台バイクが交差点で止まって、交差点内に車両が進入してこないようにするのだ。
最後尾にはパトカーが複数台静かに赤色灯を回転させながら、暴走族を刺激しないように追尾してきていた。
伊藤か!白生地を棒に付けて振り回しながらニケツしとったし。
振り回したらあかん〜。言うてたのにー。そら目立つわなーーーー。
あ〜あ、退学ちゃうか?伊藤。
早く新聞記事を見なあかんな?
次生は東山高校の近くにある行きつけのお好み焼き屋に昼休みに抜け出して行ってみた。
オバチャンーーーー。
はい、毎度ー。今日は、お好み?焼きそば?
なんでもええわ。京都新聞ある?今日の。
は〜は、奥から持ってくるわ!
かまへんかまへん、ボク今日、奥で食べるさかい。
だいたい、学校から昼休み近くの山源の天丼や、お好み焼き 禅のカレー焼きそばなどを食べに出る生徒も少ないが、次生は例の4人組だけは奥の間で食べる事ができるように、女将さんと仲良しになっていたのだ。
突然、東山高校の生活指導の教師が来た時の為であった。
奥まで入ってこれやろ?
次生はショートホープに火を付けた。
ふぅー。
ハラリっ!
う?うん?
なんか、なんか?
これは、伊藤正人やん!
はい、決まりやな。一発退学っちゅうやつやな。
次生は、
オバチャン、今日ボクなカレー焼きそばにして!味噌汁にな、卵いれてな、硬い目にしてや、柔らかいのあかんしな〜ボク。
いつもリクエストが小煩い次生が東山高校北にある、新しく出来た、お好み焼き「禅」のプライベートの奥の間で、伊藤の退学を確信した。