私たち人間は、
ものごとを、
ありのままに観ることはできません。
全ては、
その対象を自分なりに解釈し、
その解釈に対して反応します。
あ、何か物体がある。
茶色い物体だ。
虫なのか?
あ!ゴキブリだ!
汚い!!
ぞぉ~~~。。。
と言う感じ。
ゴキブリ=汚いという解釈が前提。
なので、解釈が無ければ、
何も思わないでしょう。
解釈を変えれば、
反応を変えることが出来ます。
だけど、多くの人は、
頭では分かっていても、
なんだかんだと、
解釈の奴隷になっています。
しかし、意志があれば、
解釈は変えられます。
そのため、私たちは、
この解釈を、素早く、的確にできるよう、
知識を蓄え、
経験を積むべく、励んでる感じですね。
そして、それが、生きる上で大事だと信じている。
私が長いこと、スピリチュアルや精神世界など、
様々なことを学んできたのも、
そういうことだったように思いますね。
でも、いくら、解釈を正しくしようとも、
それが解釈である限り、
ありのままで観ることはできません。
美しい景色を見て、
感動するのに、
解釈はいりません。
なんだかんだと、解釈の想いが浮かんできますけどね。
だから、
貴重な植物の名前を調べるとか、
全然興味ないんですよねぇ。。。
名前なんて、どうでもよくない?
あ、貴重植物保護の方、ごめんなさいね。
でも、下手に知識があると、
ありのままに観れないし、
それに、なんというか・・・
バラバラに見てしまう?
全体としてではなく。
よく、美しい景色を描写する場面がありますが、
そんなの説明できないですよね。ほんとは。
全体の美しさなんですから。
なので、
心の中で、
私は知りません。
私は何も判断できません。
ありのままに見せてください。
と、例えばテレビのニュースなど見ながら
思っています。
批評や批判は不要。
それが、
自由に生きること。