ところで、このブログのタイトルを、
ありのまま日記としているのは、
ありのままでいることが難しいからであり、
ありのままでいたい、という私の希望を表しています。
なぜ、ありのままでいることが難しいのか?
それは、ありのままの自分に疑いがあるからです。
自分は、ありのままで良いのか?
ありのままの自分は、何かに反しているところはないのか?
そんな疑念をずっと抱いてきましたねぇ・・・。
そして、これまでの人生で、
今でも罪悪感を感じている誰か・・・というのは、何人もいます。
単純な過ちだったら、それほど引きずりませんが、
ありのままの自分でいようとしたために、
誰かに対して感じた罪悪感というのは、
特に、ずっと、棘のように刺さっています。
この苦しみが怖くて、
ありのままでいることが難しいのです。
そして、この世の常識的には、
ありのままの自分でいることは不可能で、
周りとの衝突を避けつつ自分を補正しながら、
時には自分をだましながら、
上手に生きていくのがベストと思われています。
しかし、自分をだますことは、
絶対にできない・・・っていうか、
ものすごく苦しいことなので、それは無理!
まぁ、私も、無理!って確信したのは、
40歳を過ぎたあたりなので、40年以上もかかってますけどね。
とは言え、先に書いたように、
罪悪感が付きまとうんです。
この罪悪感って何なのよ?
なぜ、罪悪感を感じる必要があるの!?
これについても、いろいろ学んできましたが、
考えてみると、
ほとんどの場合、この罪悪感って、
私に対してかけられた期待に対して、
私が応えられなかったというものです。
良き息子、良き旦那、良き父親、良き部下・・・
そんな感じ。
どんな人間関係でも、だいたいそんなパターンですね。
なんで、そんなパターンを繰り返すのか。
これは、
神が私に対してこうあってほしいと願っているのに、
私はそれに応えられない
という罪の意識を投影しているから、だと思います。
つまり、私は神に対して不完全な存在であるという信念があるのです。
なんで、そんなふうに信じているのか?
何を根拠に?
それを書き出すと長くなるので省略しますけど、
この、間違った思い込みを訂正することが、
この人生で行うべきことなんだと思います。
もうね、
罪悪感に怯え続けるのは、まっぴらなんですよ。
ほんと。