今日も、北朝鮮のミサイルのニュースをやってましたけど。
まぁ、色々なニュースが飛び交ってます。
だいたい、ネガティブなニュースが多いですが。
親父がNHKのニュースを見る人だったんで、
子供のころからの癖で、NHKのニュースを見てしまうんですけどね。今でも。
ニュースを見ながら、
あれこれ、思いが浮かんできます。
ネガティブな感情が出てきたら、
その感情を受け止めて、
そして天に渡して、以上、終了。
ちなみに民放のニュースだと、
キャスターがあれこれ意見を述べることもありますが、
NHKだと比較的事実だけを伝えるので、
嬉しいですね。
この世界は、
誰かを悪者にする世界なので、
嫌いです。
お前が悪い、あいつが悪い、と。
私はどちらかと言うと、
自分を責めるタイプだったので、
いつも自分が悪いと思ってきました。
だから、
相手が悪いなんて、よく言えるな!
と思ってましたよ。
だけど、相手を責めるのも自分を責めるのも同じ。
自分を責める気持ちを、よくよく突き詰めていくと、
奥底では誰かを責めていたりします。
表面的には違っていても、根は同じ。
そして、誰かが悪いことにしなければならない世界に、
辟易したので、
もう、誰も責めないことにしています。
他人もそうだけど、自分に対しても絶対に責めない、と。
もう10年ぐらい、そんな感じです。
ただ、それでも、
執拗に、自分や誰かを責める思いは浮かんでくるんですよね。
うんざりするんですが、
この世界も、
そして私自身も、
神からの逃避として投影された幻なのだから・・・
それも当然。
この世界に答えも出口もありません。
その場しのぎの逃げ場はありますけど。。。
ちょっと難しい話になりますけど、
ある文章を転載してみます。
この複雑で過度に錯綜した世界においては、
選択をするための基盤がありません。
というのは、
何が同じであるかを誰も理解しておらず、
実際には選択が存在しないところで選択しているように見えるからです。
(「奇跡のコース」より)
人生のなかで、私たちは様々な選択をしているように見えますが、
実際には、何も選択していないということです。
同じところをぐるぐると回っているだけ。
どっちを選んでも、結局同じところに着いてしまう。
なので、長いこと人生について探求し、スピリチュアルや精神世界など学んで、
色々なメソッドを取り入れてきましたけれど、
もちろん、ある程度人生は好転したのは間違いないですが、
どうしても壁にぶち当たってしまいます。
というと、絶望的になってしまうけれど、
でも、救いはちゃんとあって、
それは自らの心の中にある。
そう思います。
神の記憶と、
神の使者が、心の中に確かに存在している。
そんな確信は持っています。
そして、この世界でいう「愛」とは比べ物にならない
全てを覆いつくすほどの普遍的な愛も感じます。
特別なことは何もない、ただありきたりの愛。
その愛を感じるたびに、心が震えて涙が溢れます。
人が年を取って涙もろくなるのは、そういうことなんだと思いますね。