先日、ボランティアの大学生の子が、
半分水が入っているコップの話をしていたので、
若いのに、そんな話を知っているんだ~と、思いました。
半分の水が入っているコップは、
見る人によって、
「半分も入っている」と思う人がいれば、
「半分しか入ってない」と思う人もいる。
そういう話です。
この話って、昔から知ってはいましたけど、
でも、本当の意味を知ったのは、
最近かもしれません。
本当の奥深さ、とでも言うべきか。
コップと水、そのものには、
何の意味も無いのだけど、
それを解釈する人によって、
初めてそれに意味が与えられる・・・。
こう書くと、当たり前の事のように聞こえるけど、
これは、とてもとても重大なことを意味しています。
コップと水だけではなく、
この世界に存在するものは、全てそうだから。
そして例外なく。
そのモノには、何の意味も与えられていません。最初は。
それを解釈する人がいて、初めて意味が与えられる。
しかも、その人にとっての意味であり、
他人には関係ない。
私たちは、無意識に、この解釈を毎瞬毎瞬行っていて、
意味を与えているのですが、
それはほぼ自動的に行われるので、
最初は、自分が主体的に意味を与えていたはずが、
その自動解釈によって、逆に支配されています。
例えば、ゴキブリを見て卒倒する人は、
ゴキブリに対する自動解釈に支配されまくっているわけです。
先の、コップと水の話も、
ただ知っているだけでは、ふーん・・・で終わってしまいますが、
この自動解釈に、私たちがどれだけ支配されていて、
かつ苦しんでいるかを知れば知るほど、
奥深くなります。
それが分からないと、
別に、支配されていてもいいや!ってなっちゃいます。
だから、よくよく自分を観察することだと思います。
チコちゃんが、
「ボーっと生きてんじゃないよ!」
と怒りますけど、
まさに、そう。
この苦しみから脱出する!
そう決意すると、
自動解釈に、待ったをかけることができるようになります。
勝手に意味を与えない。
違う。
これには、こういう意味を与えるのだ。
と、訂正する。
というわけで、やっぱり深いです。