Yahoo!ブログ終了には、ビックリさせられましたけど、
気を取り直して、
今日も心について書いてみます。
心とはなんでしょう。
なんとなく、
身体で言うと、みぞおちのあたりにあって・・・
いや、心臓かな?
少なくとも、脳ではない?
そんなイメージがあります。
魂とは違うの?同じ?
死んでも、残るんだよね?
・・・みたいに、以前は色々疑問に思っていました。
そういえば、人は生まれてきたとき、
心はどういう状態なんでしょう。
赤ちゃんは、成長するにつれ、
徐々に自我が形成され、
自分を認識するようになりますけど、
ここで形成された自我と、
元からあるでろう心とは、
どういう関係なのか?
なんとなく、
人は赤ちゃんに近ければ近いほど純粋無垢で、
歳を取ればとるほど、汚れてくる?みたいな印象があります。
だから、自我は、欲とか利己的みたいなイメージ。
そのまま健全にいけば、
自我が程よくコントロールされ、
穏やかな老人になるけれど、
コントロールに失敗した人は、
くそジジイになる、みたいな。
だから、心の鍛錬が必要で、
自我をコントロールできるようにならなければ、
みたいに思っていました。
元々の心の部分が、天使で、
自我が悪魔、みたいなイメージがあって、
心の中に、天使と悪魔がいるんだと。
でも、自分の心の中の、
どこが元々の心で、
どこが自我なのか、
よく分からない・・・!
確かに。
そんなに、ハッキリ色分けできないことも多いです。
それから、自我ではなく、
元々の心を選ぶべし、
と思っていて、
自我が浮かんできたら、
いかん!いかん!と、
すぐ否定していました。
でも、今思うのは、
そんなに、自我だとか、元々の心だとか、
色分けに、やっきになる必要はない。
そして、否定もする必要はない、と思います。
自我だろうが、元々の心だろうが、
ありのままに受け入れることが大事。
ただし、心の動きの観察は必要で、
これは自我だと判別することも必要だと思います。
ただ、そのときに、
自我だから、ダメだと切り捨てる必要はない。
ところで、
ふつう、人は、身体に心が宿っていると考えていますが、
そうではなく、
心の中に、身体を含めた世界があると思います。
私、という身体を持った「人」の物語を、
心は見ている。。。
話が長くなるので、続きはまた。