考えるから感じるへ | タケシのありのまま日記

タケシのありのまま日記

旧名から変更しました。

先日の「心を鍛える」の続きです。

このテーマは、いろいろな要素があるので、

話は尽きませんが、

少しずつ書いていきたいと思います。


最初、自律訓練法から始まった、と書きましたが、

そのころは、

「心」が無かったですね。

全てを頭で考え、思考がすべてを支配していました。

そして、感情も混乱し、嬉しいのか悲しいのかもよく分からない。

いったい、自分は何を感じているのか、さっぱり分かりませんでした。

頭の中から「考え」が途切れることはなく、

常に、考えていました。

この世界で生き抜くためには、

他人より、一歩先を考えなきゃ・・・!と思ってましたし。

しかし、その考えは、

自分から意識的に考える「考え」だけでなく、

勝手に湧き上がってくる「考え」も多い。

実際、大半は、勝手に湧き上がってくる、

心配事や、どうでもいい事、その他色々でした。

そんな感じで、常に思考で頭の中はいっぱいで、

そんな、何かを感じる暇もなかったんです。


それが、自律訓練法では、

「指先に意識を集中し、指先の温かさを感じる」

みたいなことをやるわけです。

考えるのではない!感じるのだ!

どこかの映画で、そんなセリフがありましたね。

そんな感じ。

とにかく、パンクしていた頭をクールダウンさせるため、

この方法は有効でした。


それ以降にやった様々な瞑想方法も、

だいたい似たような感じですね。

誘導用のCDを聴きながら、

暴れる思考を、少しずつ和らげていきました。

とは言え、

その当時は、まったく上手くいっているようには感じませんでしたね。

だって、いくら瞑想を続けていても、

思考がそれほど大人しくなることはなかったですから。

いろんな考えが、次から次へと浮かび、

瞑想中も、いろいろなことを考えてしまっていることも多かったです。

また、よく瞑想中に寝ちゃいましたね。

いわゆる、寝落ちです。

瞑想っていうと、

どうしても、座禅のように、

心を無にして、微動だにしない・・・

みたいな印象があるので、

まったくかけ離れた状態で、ガッカリしたものです。


でも、今から思えば、

全然、それでOKでした。

確かに、カメのあゆみのようにノロノロだったけど、

確実に進歩していたんです。

そのうちに、

雑念が浮かんでくること自体がダメなのではなく、

それは放置しておけばよいこと、

そして、雑念が浮かんできたな、と認識すること。

これが大事だということが分かってきて、

楽になりました。

だから、

あ、今、○○のこと考えてるわ、俺。

みたいに気づくことが、だんだん多くなってきました。

少しだけ、

一歩引いてみることが出来るようになってきたんです。

ほんの僅かでしたけど。

でも、これはすごく大事だと思います。


今日はひとまずここまで。

次は、「心の旅」について書いてみようかな。

また今度!