ささやかな幸せ | タケシのありのまま日記

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旧名から変更しました。

昨日の記事の続きになりますが、

人は、ささやかな幸せってのを望むけど、

究極の幸せってのは、望まないもんなんですよねぇ。。。

私が、まさにそうでした。


私は、ささやかな幸せで十分です・・・。

多くは望みません・・・。

という、控えめな望みなんですが、

なんでかな?と考えてみると、

望みが高いと、何か悪い気がする・・・、みたいな。

控えめにしておかないと、何か居心地が悪い。

これは、言葉を変えると、

私には、十分な幸せを受け取る価値がないです。

と宣言しているようなもの。

確かに、

それ以上の幸せを望むと、

身の丈を越えるような感じがして、

怖いですよ。

怒られそうな気がします。(笑)

こらーっ!!  

身の程知らずが!!

みたいな。


この、自分自身の価値の低さ感は、ずーっと子供のころから感じてました。

それが、自信の無さとかに表れていたわけです。

この自分への価値の低さは、なんでだろう?と思ってきたのですが、

「奇跡講座」を学んでから、ようやくその理由が分かりました。

それは、自分に罪があるという信念だったんです。

罪悪感ってやつですね。

誰かを傷つけたり、誰かを怒らせたりするたびに、

私には罪があるという信念を強化してました。


それが分かったんで、

十分な幸せ、究極な幸せ、完全な幸せを望むようになりました。

その辺の話は、長くなるのでまた後日。

とにかく・・・

誰もが、控えめな幸せが相応しいなんてことはなく、

誰もが、一人残らず、完全な幸せである価値があります。

1ミリも遠慮する必要はありません。