父ちゃんから教わったこと | タケシのありのまま日記

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旧名から変更しました。

先月、久しぶりに帰省して、父に会った話を書きましたが、

やっぱり、父が老いていく姿を見るのは、嫌なもんです。

でも、これもまた、直視しなければならないということを、

今回の帰省で思いました。

                

なんだかんだと言っても、やっぱり父ちゃんと言うのは、大きな存在ですよ。

特に、子供の頃の存在は圧倒的。

私が東京に出てきたのも、父ちゃんから逃れるためでしたからね。

でも、距離を取っても、やっぱり心理的影響力の大きさは変わらない。

一時期は、自分の苦しみの原因は、父ちゃんにあると思ったこともあったけど、

父ちゃんを責めたところで、何も解決しないということを理解しました。

そんで、ようやく私なりに父ちゃんと和解した(私の心の中でですが)のは、

4~5年前でした。

思い切って、別れ際に父ちゃんとハグしたのですが、

泣けましたねぇ。

癒されたのは、自分自身でした。

                  

それから、3年前に一度会いましたけど、あっという間に時がたち、

また、一緒に焼酎でも飲みながら語り合いたいな、と思っていたのですが、

あれよあれよという間に、父ちゃんは弱ってしまい、

今回の再会となったわけです。

そして、今回は、老いるという事、死という事を教えてくれたように思います。

人は老いて、いつかは死にます。

老いることも、死ぬことも、当たり前。

なのに、なぜ悲しむ?

長生きしたら成功で、早死にしたら失敗?

やり残したことが多いと後悔しながら死ぬの?

 桜       桜        桜

父ちゃんというのは、

私が生まれてから、ずっとずっと長い間、その役目を終えるまで、

私に色々教える為にいてくれる存在なのだと思います。