久々に、スピ系ネタで。
スピリチュアルや精神世界で言われていることに、
他人は自分の鏡
という言葉があります。
出会う人はみな、自分の鏡であり、
自分を知るために他人は存在する、ということです。
例えば、他人の嫌なところに気が付いたとすると、
それは自分のことでもあるわけです。
その嫌なところは、自分にもあるということですね。
私も、随分前に、この考え方を聞いて、
なるほど~と、思いました。
でも、その時には、まだまだ全然分かっていなかった。
そんなこともあるわな・・・程度にしか考えていませんでした。
年月を経るごとに、このことの深さが、より分かってきた気がします。
今思うのは、
何の例外もなく、完ぺきに、他人は、自分の鏡である
ということです。
他人は、そのためにのみ存在しているのであり、
他に、存在理由はありません。
例えるなら、映画の主人公のために、周りのわき役が存在しているかのよう・・・
そういうふうに思います。
例えば私の場合、
他人の、ケチを付ける言動に苛立っていました。
でも、よくよく考えてみると、自分も、誰かにケチをつけているのですね。
あらま。同じじゃん。。。
普段は、見てみぬふりをしているのです。
自分のそういう面を認めたくないから、見ない。
だから気が付かない。
ただ、気が付いたときに大切なのが、
自分を非難しないことだと思います。
これはまた、別の機会に書きたいと思います。
で、相手は鏡ということは、
相手に愛を送ると、自分に愛を送っているのと同じな訳です。
これには、一切の例外はない。
だから、誰かを非難したい衝動にかられたら、
その非難の矛先は、自分に向かっている。
私は、そうやって自分の首を、ずっと絞めつけてきたなぁ、と思います。
だから、誰も非難したくないのです。