最近は、新しい本ではなく、既に持っている本を読み返しています。
そんな中から二つのお話を。
一つ目は、「神とひとつになること」から。
これは、「神との対話」の続編です。
この本も、もう何度目かになりますが、まだまだ身についていないので、読むたびに新鮮ですね。
その中で印象に残ったのが・・・
「人生で起こる出来事や経験には何の意味も無い」
ということでした。
出来事は、ただ起こるだけ。それに「意味」を与えるのは自分である。
だから、「なぜこんなことが起こったんだろう!?」といくら悩んでも、それは意味の無いこと。
その出来事をどう解釈するかは自由であり、どんな意味も与えることが出来る。
ついつい、「なぜ?」と思い悩んでしまったり、否定的な「意味」を与えてしまいますが、それも人に与えられた自由、つまり自分の責任なのですね。
はっと気づかされた言葉でした。
それから、こちらは「明日の神」という、これまた「神との対話」の続編から。
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今のところ、ほとんどの人が自分で自分の面倒をきちんとみようとしていない。
誰かに世話をしてもらおうと思っている。だから、宗教には何を信じるべきかを指示され、
政府にはどんな行動をしろと指示され、学校には何を考えるべきかを指示され、経済には
何を所有せよと指示され、社会にはどういう人間になれと指示される、ということになる。
あなたがたをだめにするものがあるとすれば、人類にとってのアキレスのかかとがあると
すれば、それはこれだよ。
- 依存 -
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先日、ハイヤーセルフリーディングで、依存から自立せよというメッセージのことを書きましたが、もしかしてこれかな?と思いました。
内なる自分ではなく、外の、例えばある人(上司やお客さん)の顔色を気にしているような自分を自覚しています。これも「依存」と言えるのでしょうね。
また、会社から「こうなれ」と言われるままに、その期待に応えるというようなものも、もしかしたら依存なのかもしれません。
というようなことを、最近考えています。