受け入れる | タケシのありのまま日記

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旧名から変更しました。

最近読んでいる本からです。

今はこれ。リズ・ブルボーさんの自伝、「私は神」(ハート出版)です。

物凄く分厚い本なのでまだ途中です。波乱万丈と言うか、バリバリの行動派だということが良く分かります。でも、彼女も徐々に変わってきたのですね。急に悟りを開いたわけではないようです。

これまでの過程がずっと書いてあるので、フムフムと唸らせる話がたくさんありました。

その中から一つ挙げるとすれば、これ。

受け入れると言うことは、自分が目標としている姿から乖離している部分があっても、それを今の自分として認める、今はまだそれで良いと許せる、ということ。

彼女が言っていることは、どれもこれもなるほどと唸らされることばかりです。特に「鏡の技法」(他人の中に自分の姿が見えること。他人の良いところ、悪いところは全て自分の中にある。)などはそうなのですが、ただ、頭で分かっても、それを真似しようとするとなかなかうまくいきません。

ややもすると、自分の現状と彼女が言っている姿とのギャップが大きすぎ、自己嫌悪に陥ってしまいます。特に他人の悪い面が見えると、それが自分にもある訳ですから、それだけで凹んでしまいますよね。

でも、まずは「相手の中に自分を見る」という気付きが大事なのだと言います。

その悪いところが改善できなくても、悪いところを相手を見ることによって気付けただけで充分意味があり、そしてそんな面を持つ自分を「良い悪い」の裁き無しで認めてあげる、ということが「受け入れる」ということなのだそうです。

私の場合だと、誰かが誰かを仕事上のことでけなしたり見くびったりする場面で嫌悪感を覚えるのですが、わが身を振り返ると似た様な反応をしている自分に気が付くことがあります。「なんでこんなことも分からないのか!」なんて。

それに気が付く時はやっぱり自己嫌悪になりますよね。
気が付いたは良いけど、そんな聖人みたいな反応なんて出来やしない!なんて思ってしまいます。

そんな時、嫌な奴などと自分を責めたりせず、ただそういう自分の面もあるな、ということを自覚するだけで良いということなのでしょうか。それが子供の頃に被った仮面の一つなのでしょうね。

こうして、自分のあらゆる面を受け入れて統合する、ということが大事なのでしょうね。