先日の父の日、私は鹿児島の父にある贈り物をしました。
手紙と「神との対話・第一巻」です。
手紙はここ数年、たまに出しています。そう言えば、毎回父の日かな?
内容は、私や家族の近況、私の体調、そして私が最近思っていること、です。
体調については以前から自律神経失調症の事を説明しており、これまではなかなか良くならないといったことを書いていたのですが、今回は吹っ切れました!という内容にしました。くよくよ考えても仕方がない、体調は魂からのメッセージだと思って良い意味で捉える、といった話です。
最近思っていることは、思いっきりスピリチュアルな話を書きました。今回ここまで書いたのは初めてです。「生きる」ということの意味や人生についての自分なりの考えを延々と書きました。(笑)
そして最も感銘を受けた本として「神との対話」を紹介し、それをプレゼントとして贈ったのです。
実は、これまでスピリチュアルな話題を父にするのをためらっていました。
理由は、どんなふうに思われるか分からず怖かったから、でしょうか。
「ヘンな宗教じみたことやってるのか!」「くだらないこと考えてるな!」
なんて言われるのを恐れていたのだと思います。
父はここ数年、体の調子を崩しています。
元々、「馬鹿」が付くほど心配性、ネガティブ思考なんですね。(^^;
それが原因だと家族も本人も分かっているのに、どうにも出来ないというジレンマに陥っていたのです。
私も何とかできないか色々考えて、前向きになるような本を贈ったりしようかと考えた事もあったのですが、どうしても一歩が踏み出せないでいました。
それは、「他人を変えようとしないこと」という精神世界での教えが引っかかっていたのと、父に対するわだかまりがあったためです。
私の父は厳格な父親で、逆らったことがない存在でした。なので、母親には何でも話せたのですが、父とはまともに話したことはほとんどありません。今でも、帰省してもちょっと話を交わすぐらい。どうでも良い話ばかりで、腹を割った話が出来ません。電話がかかってきても適当な話をする程度。
また、父は私から見たらとても優秀な人でした。これはいろんなことが出来る、という意味でですね。あれもできる、これもできる・・・というスーパーマン(は言いすぎだけど)とでも言いましょうか。勿論、嫌いなところもたくさん(感情的なところや暴力に対して)ありましたが。
なので、父に対して何かを指摘したり教えたりすることに対して何か抵抗がありました。これは言葉で説明しがたいのですが。。。多分、多くの男の子が父親に対して感じている部分だと思います。父と自分を比較してしまうのでしょうね。そしてまだ自分は父を超えていない、というような感覚。。。
まぁ、もろもろそういった思いがあって、これまでためらっていました。
しかし、今回は思い切って自分の正直思いをなるべく表現してみました。
これは、「自分自身の気持ちに正直になること」、「相手に愛を贈ること」、「相手がどのように反応するかは自分には関係ないこと」「私は私、父と比べても意味がない」といった、これまで学んできたことを実践しようと思ったからです。
そして、父の日の夜に、父から電話がかかってきました。
父は「良い贈り物をありがとう」と言っていました。
本も少し読んでみたけど、難しいなぁと。でも読んでみると言ってくれました。
鬼のように怖かった父のイメージが未だに残っていて、ずっと遠い存在でしたが、なんだか少し近い存在になったように思います。
ふと考えてみたら、私のところに電話をかけてくるのは父のことが多いのですよね。
うざったいなぁ~と正直思っていましたが(笑)、でもそれが父なりの愛なのだと、この歳になってようやく分かった気がします。