苦労とは | タケシのありのまま日記

タケシのありのまま日記

旧名から変更しました。

自分が望まないことはやる必要はない、様々な本で見聞きします。
それについて考えたことを書いてみます。



まず、仕事について。
昔は中毒と言うほどでもありませんが、仕事が生活の中心でした。
その頃は、ほとんど全てにおいて、仕事が優先されていました。
深夜までの残業は当たり前、休日も出勤です。「仕事だから仕方がない」という理由で。

その頃の仕事は、プロジェクトのサブリーダーやリーダーなど、ある程度の責任を任されるようになっていました。

部下のやっている内容から全体的なところまで広く把握する必要があり、責任もあって大変でしたが、指示されるほうではなく指示する側なので自由度もあり、仕事としては結構充実していたと思います。

ほとんどのことを自分で把握していて、全て決められるわけですから。
お客さんに対しても自信を持って意見できましたし、そうそう、今から思えば自信がありましたね。俺は出来るぞ!って。

なので、前述のように何よりも仕事優先ということになっていたと思います。

もちろん、その当時は仕事優先なんて思っていませんでしたが、でも行動を見ると家庭よりも仕事でしたね。

で、だんだん担当するプロジェクトが大きくなり、それに伴って負う責任も大きくなるにつれて、そんなやり方がいつまでも続けられるわけがありません。

徐々に仕事が苦痛になってきました。そして一気に体に変調が来たわけです。
それが、3~4年前になるでしょうか。



そして今ですが、やっぱり仕事は苦痛です。(笑)
以前のように、あれこれ抱えるようなことは止めました。なので、もう昔のような残業漬けの毎日と言うわけではありません。でも、やっぱり仕事は辛いですね。正直言って。

体に現れる色々な症状は、私が受け取るメッセージによれば「仕事に対する拒否反応」らしいです。
もっと自分がやりたいことをやるべきだ、と。

しかし、そこで疑問が沸いてきます。
たしかに、自分がやりたいことばかり出来れば嬉しいけど、でも昔の人は「苦労は買ってでもしろ」って言わなかったっけ。。。

楽なことばかりして苦労を避けるような人は、人の痛みが分からない人になりますよ!なんてことも言われます。確かにそれはそれで一理あるように思います。

また、「嫌な仕事をして我慢する代わりにお給料としてお金をいただいている」と聞いたことあります。
正負の法則として考えれば、それも一理あると思うのですが、でもそれって自分が楽しいことをしてお金をもうけることは良くない、ということに繋がる気がするのです。それって、ちょっと違うんではないかと思うのですが・・・。



ということで、「苦労」と一言で言っても、色々あるんではないかと漠然と考えています。
必要な苦労と必要でない苦労があって、でも世の中には必要でない苦労をしている人がたくさんいるんじゃないかと思うのですが、でもそう考えるのは「逃げ」なのではないかという考えも頭をもたげてしまいます。

こうでなければならない!というものはないので、どういう選択をしても間違いではないのではないのでしょうが、私自身の最高の選択とは何なんだろうと、やっぱり考えてしまいます。

ということで、何か結論があるわけではないのですが、今、そういうことを考えてます、というお話でした。

心境の変化があったら、また書きたいと思います。