人生の目的も大事ですが、実際には自分が今抱えている問題への対処で手一杯、というのが現実だと思います。
人間、悩みは尽きません。
私も、いまだに様々な悩みを抱えたままです。
自分の性格のことや、自律神経失調症のこと、家族の将来のこと、etc。。。
その悩みは、考えてみると「将来に対する不安」や「自分の思うようにならないことへの不安」と言えるかもしれません。
つまり、なんらかの不安を抱えている状態だと思います。
「不安」とは「愛」の対極にある感情だと言われます。
そして、他の悲しみや怒り、喜びといった感情は、すべてこの「愛」と「不安」から派生したものです。
「不安」が分からなければ「愛」も分からないわけで、その意味では「不安」は人にとって必要なものと言えます。
しかし、今の人々は「不安」ばかりを感じて生きているように思えます。
その「不安」が人々を争いや怒りに追い立てています。世界中で起こっているテロもそうですし、世の中の争いごとはほとんど何かの「不安」が引き金になっています。
では、なぜこんなに「不安」を感じるのでしょうか。人々は心穏やかに平和に暮らすことを望んでいるはずなのに?
実は、「不安」は何かを失うことへの恐れです。
人々は、自分が大切だと思っているもの、例えば愛やお金、時間、物、地位、などを失うことを恐れています。それは、これらの大切なものが「足りない」という意識が生み出しています。この意識が適者生存という考えを生み出し、常に適者であろうという思いと、それを失う恐怖を生み出しています。
しかし、大切なものが「足りない」というのは幻想です。他人から植え付けられた考えに過ぎません。
必要なものは全ての人に行き渡るよう充分にあります。もう何かが足りないと心配する必要はありません。自分が充分になるために、他人が犠牲になることはありません。自分が幸せを感じていると、なんだか周りに申し訳ない気持ちになってくることがあります。「こんな私がいいのかな?」と。
大丈夫です。あなたが満ち足りても誰かが被害を受けることはありません。
そして、誰もが幸せになる資格を持っています。そもそも資格などありませんが。。。
精神は、植え付けられた思い込みのために心配してしまいますが、心配や不安を感じている時は、とても嫌な気分になりますよね。これは魂が「No!」と言っているのです。嫌な気分になるようなことは考えないことです。
何かが足りない・・・と考えるよりも、私はこれを望む!と考えたほうが気分が良いはずです。
ところで、自分は心配性のようです。よく言われるので、間違いないでしょう。(笑)
でも、私の父はもっと心配性です。常々、あれはどうする、これはどうする、いろんなことを心配しています。心配性の私が呆れるぐらいですから、相当ですね。(^^;
私が見る夢って、楽しいものはあまりなく、大抵は嫌なイメージが多いです。何かに追いかけられたり、心配させられることがしばしばです。もっと楽しい夢を見たいのですが、どうも入念に「不安」のイメージが刷り込まれているようです。
「もっと気楽に考えなよ!」
と何度言われたか分かりません。「わかっちゃいるけど~」です。そう簡単に考え方を変えられたら苦労しないよ!って何度も思いました。
しかし、せっかくの今回の人生を、また不安だらけのものにしたくないです。
そして、自分の人生は自分で選択する、という意味がようやく分かってきた気がします。他から不安になるような情報を耳にしても、自分の選択がはっきりしていれば大丈夫。
私は、心穏やかで、平和で愛に満ちた人生を選択したいと思います。