リアルタイムで読んでいたわけではなく、

 

マイブームで、「職業モノ」の作品を読もうと思った際に、

 

たまたま手に取った作品です。

 

ある意味、王道な展開から始まりますが、

 

最後まで読み切ればドキドキハラハラが止まらないと思います。

 

この作品以外にも原作者の作品を色々と読みましたが、どれも胸が

 

熱くなるような作品ばかりです。と同時に、

 

ある共通点が浮かび上がります。読めば、誰でも感じることです。

 

全然悪い意味ではありません。むしろ、この作者の個性だな(笑)と

 

思いました。ここでいうのは無粋なので、是非読んで感じてください

 

 

 

 

 

 

 

 

「QED-証明終了-」というマンガの中で、

無限集合という概念の中では、

「整数」と「偶数」は「同じ数だけ無限に存在する」ということを知りました。

 

一見すると、整数の中に奇数と偶数があるので、整数と偶数を数えたら、整数の方が多いという風に考えるのが自然だと思います。

これみたとき、昔見たドラマ「エジソンの母」で「1+1は何?」ていうシーンがありました。主人公は、ミカンを例にして、1も分割できる、1+1は3にも4にもなるんじゃない?ってことを言ってました。

 中学校くらいになると、学校で「10進法」を習い、そこで、コンピューターの世界では「1+1は10」ということも知りました。

 自分が思っている、「当たり前」や「常識」って学校で習ったことも含めて、枠で区切られた世界の中で通用するものだということを知っておかないといけないと感じました。

 だから、学校の勉強が役に立つのか?という素朴な疑問を受けたときも、その質問をした子は、

「将来」という時間軸で判断することが多いですが、むしろ「どこで」という枠を捉えることの方が大事なのでしょう。

 

メディアで憲法9条を取り上げる際、

 

軍事力の保有が「戦争の引き金」となるのか「抑止力」となるのか

 

という議論がよく行われます。

 

僕たちのほとんどは戦争を経験しておらず、日本にいる戦争経験者の体験を聞いて、「戦争」をイメージします。ただ、その戦争というのは「第二次世界大戦」であり、歴史上二度しか起きていない世界大戦です。

 

そこから、約80年経過した現在、あのころの戦争の様式も規模も全く異なるものになるでしょう。

 

言ってみれば、歴史物の作品に登場する戦国時代のようなものであり、当時の常識が今の常識とは異なるように、

 

ウクライナ国境付近の情勢などを見ると、起こりそうで起こらない緊迫感が伝わってきます。

 

なぜ、このような状況が生まれるのか?

 

それを考えるきっかけを「空母いぶき」は与えてくれると思いました。