意識の飽和 | I want to say by all means

意識の飽和


 今日は新現場3日目、

 今日は・・・まぁまぁでした。

 波が荒いです。。。(´□`。) 
 

 
 このごろ仕事が忙しいため

 サッカーの現場に関われていませんが、

 とある出来事を耳にして

 少し心が痛んでいます。


 自チームの現中3ですが、

 以前から書いている通り非常に残念な状態です。


 それを象徴するかのような話。


 夏休みを含めて

 遠征なども多かったのですが

 平常に戻っても

 試合で遠方の会場などにいく場合、

 チームでバスを借りていきます。


 当然、

 当日の出欠を事前にとって、

 人数調整や費用負担などを算出するのは

 運営上必要なことですが、

 基本、

 クラブがスケジュールを決め予定を出し、

 まずそれを連絡係等の役員に伝達。

 役員は各家庭に連絡し、

 当日の出欠を確認して取りまとめ

 それをクラブに報告し、

 集計の結果が活動として成り立つ状況であれば

 それを確定してスケジュール化する。


 この流れはサッカーチームに限らず 

 日常生活や社会生活においても

 当たり前のことだと思います。


 友達同士で遊びに行く予定を立てるにしても

 大なり小なりこういった段取りは

 ある程度の大人になれば自然と行うことかと。


 先日たまたま

 急な予定により出席予定をキャンセルする家庭があり、

 その旨を連絡係(集計係)に連絡したそうです。

 これはキャンセルのご家庭から聞いた話。

 そのご家庭も胸を痛めて話してくれました。



 事前集計では出席としていましたが、

 予定の直前に近い、

 数日前のキャンセルになってしまったので、

 そのご家庭では、

 欠席にはなるものの必要な経費については

 こちらの責任なので払うべきだと考えられ、

 その意思をきちんと連絡係(集計係)に伝えたそうです。


 そのときの連絡係(集計係)とのやりとりを

 聞いた話ではありますが簡単に書いてみます。

 キャンセルのご家庭をAさんとします。


 Aさん「急で申し訳ないのだけれど○月○日の試合、

     参加できなくなったのでキャンセルしたいのですが
     
     大丈夫ですか?」


 連絡係「ぜんぜん大丈夫ですよ。了解しました。」

 
 Aさん「でも、バスの手配もあるから、費用は払うので請求してくださいね。」


 連絡係「いえいえぜんぜん大丈夫ですから気にしないで。お金も要らないですよ。」


 Aさん「本当に?無理しないでくださいね。迷惑かけてるのはこっちだから…」

 
 連絡係「本当に大丈夫ですよ。だってちゃんと連絡くれてるじゃないですか。」 
 

 Aさん「え?」


 連絡係「連絡なくドタキャンの人も多いんですよ。だから気にしないで。」

 
 Aさん「何それ?どういうことですか?」

 
 連絡係「参加になってても連絡なしで当日来ないとか当たり前なんです。」


 Aさん「・・・結構多いんですか?」


 連絡係「結構多いですね。そのまま連絡もないとか当たり前ですよ。」


 Aさん「そうなんだ。。。大変ですね。」



 ・・・・といったやり取りがあったそうです。
 

 
 私も過去長いこと、とあるチームの運営に関わっていたとき、

 確かにそういう類の人が多いことには驚きましたし、

 他の人に仕事をさせておきながら、必要最低限の連絡もできない、

 子供ではなく「親」が多いのにもうんざりしたのを思い出しました。


 私にとってはすごく嫌な思い出ですが、

 いつまでもいつまでもなくならないものだと

 本当に辟易します。



 この中3のチームは

 とにかく選手の温度を感じない特異なチームだと

 見るたびにどこか薄ら寒い思いもしていましたが、

 見えないところでも

 やっぱりこういったことがあるのだと、

 今回のことも、

 予想こそしてはいたものの、

 実際には見えていなかった自分が恥ずかしいですし

 運営に関わる方々には

 本当に申し訳ない思いでいっぱいです。


 親のこういった部分は

 子供達に必ず反映します。

 
 加害側はちょっとしたことだとか

 ムキにならなくてもとか、

 簡単な言葉で片付けようとしますが、

 実際には

 そういった部分を何とかすり合わせながら

 バランスをとって予定を組み替え

 その結果で活動につなげてくれている人がいて、

 そういった部分を

 やりもしない人が簡単にうやむやにして、

 ちょっとしたことだとか

 面倒だとかいって協力しなかったり。。。

 ほんの少しの思いやりと感謝と配慮だけで

 お互いでのコミュニケートが上手くいくのですが、

 なぜか

 いい大人ができないことのほうが圧倒的に多く、

 このあたりが

 家庭でのちょっとしたところにも

 自分達の都合だけにいい生活をしている象徴で、

 その結果が

 子供達のちょっとした取り組みにも現れます。


 誰かがやってくれていることが

 あたりまえ

 運営があるんだから

 あたりまえ

 お金を払っているんだから

 あたりまえ

 
 こんな考えで感謝をなくしてしまったら

 当然、貪欲な取り組みなんて

 到底できるはずもありません。


 中3の子供達の

 圧倒的な大多数にその要素を感じることを、

 今回の一件も含め、目の前にあるということに

 非常に空恐ろしく感じました。。。


 常に与えられ、ありがたみを忘れてる?

 用意されたもので結果が出るのが当然とでも勘違いしている?

 それは完全に意識が飽和している状態です。 




 自分で考えて自分で動いて自分で作り出して、

 周りと協力して、力を合わせて、相手のことを考えて、

 サッカーってそういったことの積み重ねの

 代表みたいなスポーツのはず。


 
 上手くかけませんが、

 久しぶりに、怒りとともに

 本当に背筋が寒くなるような

 血の気が引くような感覚にみまわれました。
 

 
 
 でも経験上、

 この類のことは、ほぼ絶対に解決できません。

 残念ですが、解決しようにも話にならないんです。
 
 とあるところ以上の状況になった時点で

 もう凡以下でしかなくなっているんです。

 
 表現は悪いですが

 親に問題の多い学年は存在します。

 問題といってもモンペのようなものではなく

 自分勝手な親が多いという意味です。

 この部分は残念ながら文章では伝わりませんし

 表現しようがありません。

 
 ここ数年でも極端にひどい学年も見ました。

 実際、ノンタイトルで結果は全く出ません。

 当たり前といえば当たり前なのですが

 本人達には全くわかりません。


 あまりのひどさに

 私はこの学年に意見したことがありますが

 気づく人がいませんでした。

 むしろ指摘して精査を求めた私が極悪人になりました(笑)



 ちなみに、フォローではないのですが

 自分の知りうる限り、

 本当にごくたまに、ほんとーーーーに極々稀に
 
 解決するというか、

 そういったことがあまりおきない年代もあります。

 非常にまとまるというか

 人としてきちんとしているだけなんでしょうが

 そういう人が集まる年代がたまーーーーーにあります。


 そういった年代は

 必ず結果を出しています。

 何かしらタイトルを手に入れています。

 もしくは

 その年代の選手の多くが羽ばたいたりします。


 また、

 ひどい学年の中になじむことができなかったような

 本来なら「普通」のはずのご家庭の子が、

 将来的に立派な結果を出している例も見ています。
 
 なじめなかった子はその学年では

 それはそれは嫌われて暴言も吐かれてました。

 でもくじけることも流されることもなく

 その子は自分を信じて取り組みを緩めませんでした。

 腐っているところを見たこともありません。

 ご両親も活動に関わりにはならないようにしていたものの

 連絡や言葉の面では心が本当に助けられるほど

 キチンとされていましたし、常識的でした。


 しかしその後、 

 その子が目に見えて結果を出した途端、

 それまで散々暴言を吐いていた連中が

 「仲間だ」「チームメイトだ」と

 醜いほどに手のひらを返しました。


 私は我慢できずに「あなた達は最低だ」

 と言ってしまい、

 また悪者と化してしまいました(笑)


 でもその結果を出した彼は今でも

 会えば誰よりもきちんと挨拶に来てくれます。


 私はそれで十分です。 
 



 話は逸れましたが、

 当たり前のことを当たり前だとおもうのは

 常識に対してであって

 物事のやり取りに適用するものではないということ。


 やってもらうのが当たり前

 用意されているのが当たり前

 などという発想が出た時点で
 
 すでに意識が飽和しています。



 
 
 感謝と思いやりって言葉、

 もっと簡単に、ちょっとした気遣いだけでも

 こんなにも貴重な言葉になっているって

 人は気づいているのでしょうか。。。























 おしまい