<a href="http://nana12.blog.bai.ne.jp/
">山本隆君、60おじさんがブログを更新した。</a>
1967,68年ごろの一番懐かしい時代の、全日本モトクロス4,5回大会の頃の写真である。
2枚目の写真でトップグループを形成して走るライダーたち、
山本隆、星野一義、吉村太一、木村夏也、みんなそれぞれに懐かしい。
山本隆君
いまも、60おじさんとは、ブログなどでずっとお付き合いがある。
春には『どこ竹の竹とんぼ』でも一緒だったし、秋には『ひょこむ』のメンバーと
「山本隆のオフロード教室」を開くことになっている。
星野一義君
いまさら説明する必要はない。
然しまだこの頃は、カワサキファクトリーでは、山本、歳森、梅津、岡部につぐまだ若手の弟分のライダーだった。
めっちゃ性格が良くて、みんなに可愛がられていた。
有名になってからもそのままで、鈴鹿などで一緒になると必ずカワサキのパドックに挨拶にくる律儀さである。
パソコンをやるのなら必ず友達に入れるのだが、噂では携帯も持っていないとか言うので諦めている。
吉村太一ちゃん
スズキのライダーなのに、なぜか関係があって、今年もMFJのふれあいミーテイングと全日本モトクロスでも旧交を温めた。
いつまで経っても『太一ちゃん』だが、今はスズキのレース総監督だし、実業家としても大成功である。
星野とほぼデビューが一緒で、ノービス時代から二人のバトルはずっと続いていた。
お義理ではあるが、声を掛けたらひょこむのメンバーにもなってくれた。
彼もまた、律儀である。
木村夏也君
大阪のカワサキ赤タンク会からいきなりデビューして、
確か第3回の四国の全日本では、カワサキは誰も優勝しなかったのに、彼だけがノービスではあったが優勝してくれた。
もう亡くなってしまった足立孝夫さんの推薦でのデビューだったのである。
この写真の頃はもう、スズキのマウンテンライダースに移籍していたのではないかと思う。
この写真、特に星野と太一ちゃんのライデイングスタイルが良く出ている。
ひと目見たらそれと解る独特のものである。
<a href="http://nana12.blog.bai.ne.jp/
">リンクした山本隆君のブログの最初に登場する集合写真は</a>、
カワサキの古い方には、懐かしい顔がずらっと並んでいる。勿論ライダーたちもメカニックもそして福島オートの中西さんや、蓬田さんの顔も見える。
67年MFJの第4回の全日本だが郡山の自衛隊の演習場を借りて開催された。
MFJの山田さん(事務局長)に頼まれて自衛隊に用地の借用のお願いに、福島オートの中西社長と一緒に頼みに行ったのを覚えている。
陸軍士官学校出身の元大佐の中西さんに対しては、最高級の対応で自衛隊の正門までお出迎えがあったほどである。その待遇にびっくりした。
当時、私はレース担当を卒業して、仙台事務所長になって4ヶ月目で、まだまだレース界には顔が利いたし、名残惜しい気持ちを持っていた頃である。
この写真に写っていないのは、新米の所長業務が忙しくて早々に仙台に戻っていたのだろう。
この写真の中には、今でも「ひょこむ」のトモダチで付き合っている人が何人もいるのである。
人のお付き合いは、長く続くものである。
鈴木忠さんと山本隆、
この頃から、忠さんの全盛期が始まるのだろうが、私はだんだんとレースの世界からは遠のいて、
販売網、販売ネットの世界に興味関心が移っていく。
人の努力でモノを売るよりは、システムやネットの力で売るべきだと思い込んでもう40年になる。
今でも、そう信じてブログやSNSに興味を持ってお付き合いしている。
昔のことは懐かしいですね。なんだかほっとします。