川崎重工業のOB会があって出席した。
世間で言えば、お堅い重工業の社風と思われるかもしれない。
事実、昔は固い会社だったが、今はちょっと変わってしまった。
田崎さんが 『柔工業』 を目指すと明言し、その方向に引っ張ったからである。
OB会も昔の重厚さはなくなったが、明るくざっくばらんになった。
OB会の会長も単車出身の高橋さんである。
事務局を担当している連中も単車出身なので、前座の総会も説明も明るく肩の張らないものになった。
帰属した部門の雰囲気がそうさせるのか、もともと本人の資質がそうなのか?
バイクやジェットスキーという遊びの商品の部門で、レースやイベントを数多くやったりしていると、自然にそんな風になってしまうものかとも思う。
高橋さん田崎さんという、二人の会長の挨拶の話を、gooにアップしたが
、
高橋さんの時代から挨拶の原稿は下が造らなくていいようになった。
今はどうなったか知らぬが、挨拶などちゃんと考えがあったら原稿などは不要だと思う。
原稿などあったら話が堅くなって、逆に本意が伝わらないと思う。

昨日の、田崎さんの話は、『帰属意識』だった。
彼が言うように人それぞれいろんなところにかかわりがあって生きている。
こんな話だった。
『彼は満州で生まれ育った引揚者だが、その出身の小学校は100周年を迎えるそうである。
今は減っていくばかりの同窓会だがそんなところにも帰属していると言っていた。
オリンピックが始まるが、『ロシヤとフランスと中国が残ったら、皆さんどこを応援しますか?』
どことは言わなかったが、彼は子供の頃のふるさと満州がある中国と言いたかったのだろう。
これはソウルで育った私にはよく解る話である。私もそんな場合韓国を応援する。
夏の大会に、最後九州勢が残ったら、どこでもいい『九州を応援する』と言う。
彼は宮崎の出身である。
そして、最後に『相信会』に結び付けて終わった、乾杯の音頭のスピーチであった。』
生まれ育った場所や今住んでいる生活の場所にも人は当然帰属する。
然し、たとえば、三木に帰属意識を明確に持っている市民がどれくらいいるのだろうか?
私自身で言えば三木に帰属意識を持つようになったのは最近のことである。
吉川にはあるが、三木にはそんなにと言う人もいるだろう。
カワサキというブランドにはちゃんとした帰属意識をを持っている。
もちろん単車部門には強烈な『帰属意識』を持っているが、川崎重工にはあるにはあるがそんなに強烈ではないのである。
OB会では、いつも昔の仲間の田崎さんとの会話は楽しみである。
ただ、会では彼も公人なので独り占めする訳にも行かないので、ほんの10分程度にしている。
話足りなかったのか、今日、田崎さんから自宅に電話があって、話の続きの雑談をを延々とした。
今、ミニSLのメリケン波止場の神戸市との関係を手伝ってくれているのである。
カワサキワールドの直ぐそばということと、昔の単車仲間の私が持ち込んだ話なので、気軽に手伝ってくれているのである。
私自身も、別にミニSLに興味があるわけではないのだが、s850m君などという昔の仲間の鉄道マニアが、やりたいと言うので手伝っている。
そんな気安さが、単車と言う遊び道具を事業にしてきたグループのよさだと思うし、ある意味帰属意識のなせる業だと思ったりする。
最近の、行政もそんな風に、動くところが出てきだした。
武雄や三条や箕面の動きなど、見ていると面白い。
これは元総務省の帰属意識からのものであることは間違いない。
別の面から言えば、リーダーが変わると、そこの体質も変わるというのも事実である。
その中に帰属したいと思うような動きをすることである。
興味や関心がなければ、そこに帰属したいなど思ったりはしない。
田崎さんの言う 『帰属意識』 からいろんなことを思った。