いよいよ聖火が長野を走る。

今年のオリンピックの聖火は世界中に話題を振りまいて走った。

聖火が世界を走る意味は一体なんだろう。


いま、『何故聖火が日本を走らないといけないのか』
こんな大げさな警備までして『断わればいいのに』などとホンネでは思っている人が多いのではなかろうか。

私はそう思ってはいるのだが、『現実には断わる術もない』ので仕方がないのかなとも思っている。


この問題の原点は中国のチベット問題である。

聖火の問題は断ることは出来なくても、チベットの人権問題に発言があっても当然である。

日本政府が沈黙を守っている態度は、どうしても解せないのである。

善光寺が出発点を断わった。『見識である』
折角、発言のきっかけも造ってくれたのに、何の発信もしていない。


外交問題であることは解るが、
言いたいことも『言わない言えない』関係は、とても親密な関係とは言えないのではなかろうか。


それにしても、中国のこの問題への対応は『言いたい放題』『やりたい放題』である。

チベット問題へのコメントはビックリの連続だし、今度は文句を言ったフランスへの不買運動である。
ひょっとしたら、中国人は『自分の気持に正直』なのかも知れぬと思ってしまったりするが。
然し、どう考えても成熟はしていない子供の感情である。
ダダをこねてるとしか思えない。


聖火は羽田に到着したようである。
今日中には長野に移動する。
厳重な警戒態勢である。ホントに何のための聖火リレーなのだろう。


ともあれ、平和の祭典オリンピックの聖火リレーに相応しいものであって欲しいものである。