今朝のニュース、桑田大リーグに残れず引退とある。
桑田の大リーグでの競争は終わったが、人生の競争は終った訳ではない。
むしろ今から新しい競争がまた始まるのである。
世の中、すべて競争の世界である。何かを競って生きていくのは人生の宿命のように思う。
こんな競争の世界に人々は生きている筈なのに、
それを避けようとする風潮が小学校の徒競走などに見られるのは如何なものか。
競争には必ず勝敗はつきものである。勝つに越したことはないが、勝ち続けることも不可能である。
勝利の美酒に酔う喜びとともに、敗北感を味わうこともまた人生である。
今、言われている格差社会もあまり言い過ぎるのは、人の努力を否定してしまうのではないかとも思う。
競争の中で、レースやマラソンなど勝ち負けを争うスポーツ競技は、やっている選手本人にもそれを観る人にとってもその時々の状況や勝敗の結果がわかり易い。
競争の本質というか、競争のための心構えとして、
競争のための準備。
競争のスタート。
トップ集団の中にいること。
の三つが一番大事であると思っている。
準備、練習など備えや努力がなければ問題外である。心の準備、競争をしているという意識、これも不可欠である。
スタートは当然大事である。当然のことなのに人生の競争などスタートを意識しないままに、スタートを見逃して競争に参加すらしない人も見かけられる。
万全の準備や練習、少しでも早いスタートを、そしてトップグループの中にいることが勝つための条件であることは誰にでも解るはずである。トップ集団にいないと自分の実力すら出し切れないことが多い。
然し、世の中での競争はスポーツ競技とは違って、『競争をしているという意識を持たないうちに終わってしまって』、結果だけが待ち受けていることが多いのではないだろうか。
準備を怠らず常に勉強して、
スタートに遅れないように、
トップ集団にいることとは、一般に新しい世の中の流れの中にいることだと理解している。世の流れを読み取って流れに乗ることが必要だ。流れに逆らっては前には進まない。
世の中の競争に於いて『勝ち抜くMUST条件』と思うのだが、それを意識している人は僅かである。
また、競争には全てルールがある。
ルールを守るのは当然で、誤魔化したりする談合などは競争のルール違反である。
常に正々堂々の競争でありたいものである。