特定財源の話題が一挙に脚光を浴びている。
脚光を浴びるはいいことに使う言葉であろうから適切ではないかも知れない。
道路がなぜ旅行に化けたりミュージカルになったりマッサージチェアになったりするのか?
不思議で仕方がなかったが、基本的な問題はその期の予算はその期に使い切るという慣習からのような気がする。
お役所の予算に限らず前期の実績が翌期の予算のベースになるという単純は発想がそんなことを生じさせる源のような気がする。
だからある予算は使い切らねばならないのである。
道路に特定された予算でも、余ってしまえば残せばいいのだが、残さないために何か少しでも関連のあるものを見つけて使おうとするのだろう。
自由に使えると言うことが輪をかけておかしくしてしまっている。
会計検査院の調査なども追いつかない。
仮に見つかってもあまり厳しい罰則や罪に問われることはない。
道路建設は利権である。政治家にも業者にも美味しいネタである。
だから手放したくはない。
ここまでなら革新の首長なら断固一般財源化を言うはずだが、97%もの地方の首長が反対をするのであるから何か不具合があるのだろう。
小泉さんは『賛成である』という。トップが賛成して問題点の整理をすれば解決の方向に動くのだが、福田さんはそれをしようとしない。
不幸なのは国民なのである。