道路財源の話が今、政治の注目課題である。
日本の道路に政治生命をかけたような田中角栄が、この問題に取り組んだ頃の日本55年前と言うから昭和28年、私はまだ学生だった。
暫定税率と言うのが決まったのは1974年、田中総理の時とある。
その頃までの、日本の道路は確かにダメだった。
高校生の頃、明石から小野まで野球の試合でバスで行った。
でこぼこ道を立ったままバスに揺られて、降りたら足ががくがくして、体が揺れているように感じたのをよく覚えている。
それから15年ほどたった昭和41年から45年頃(1970年頃)、仙台を拠点に東北6県をクルマで走りまわっていた。
幹線道路は舗装されていたが、地方や峠は全て未舗装の砂利道であった。
直線道路など冬の雪道のほうが走りやすいと本当にそう思ったこともある。
イギリスの舗装率が98%と聞いて、そんな国も世界にはあるのかと思ったりした。
それほど、日本の道路は遅れていた。
個人で車を持ち出したのもこの頃であり、大阪万博が確か1970年である。
道路をという要求は、日本全国共通の課題であったと思う。
この法律は、そういう意味で機能した。
それから40年近く経って、日本の道路は様変わりしている。
中には不要不急の道路も政治家や建設業者のために作られたりしたのもあるだろう。
今でもまだ、和歌山など道路が欲しいと切実に思う地域があるのは理解できる。
でも、日本国中一律にというのは、ちょっとと思う。
よく解らぬが、その辺が柔軟に解決できる方法はないのだろうか。