こんばんは!
この前、僕の母が還暦を迎えました!
それを機に、60本のバラをプレゼントしてみました!!!
おそらく歳を数えるだけのお祝いは最後だね。
おかあ、本当におめでとう!!!!!!
二巡目の人生も、おかあらしく、たくさんの花を咲かせてね!
さて、昨年から、何で脳腫瘍が僕の人生を壊してくるんだ、
としっかり悩んでいたので、
その時期に出会った人たちとの話を書いてみます。
今回もよろしくお願いいたします!
まずは、大学入学に向けて地元で塾に通っていた頃にお世話になった恩師に会った話です。
実際に会えたのは、2018年10月末でしたが。
恩師は出世して、田舎から東京に栄転していて、
ある街の高いビルで1番偉くなっていました。
たぶん僕は2017年に退院した後まもなくして、
病気との向き合い方に困っていたので、
その時に一度連絡をしていました。
でも、それきり連絡をしていないという失礼すぎる対応をしていました。
申し訳ありませんでした。
そりゃあ、多少は気になりますよね。。。
ですが、その方ともう一度会って、
病気のことから現在の病状までを話さないと…!
と思った日があったので、連絡し、そして会えることになりました。
そこで病気を告白する前から、
歩き方だけで“何か”あったことは聞かれるなと思い、
白状して臨みました。
その日会えると言われたのは21時過ぎでした。
僕の東京の家に帰ることを考えると、
23時にはお店を出たかったので、
会った時から2時間も時間はありませんでした。
会ったのは、恩師の塾のビルの出入り口。
でも、21時になっても恩師は出てきませんでした。
もーーー!!!
僕はもう寝る時間来ちゃうよ?!
だからこそ、恩師と会ってすぐに、歩き方の悪さを言われました。
「すいません、最近の足はこんな感じで…」
すると、恩師は
「俺が階段とかは先に降りるから絶対に転ばせないし、
ちょうど居酒屋から出てその足なら、“千鳥足”でいいんじゃないか??」
と冗談交じりに答えてくれ、
今から自分の一番の恥部を話そう…!と思っていた僕でしたが、
笑って会話ができました。
先生、ありがとうね。
この時すでに“自分歴”的なものを書いていた僕は、
それだとかなり長編の本みたいなものを想定していたので、
それをバラバラにした方がいいか否か、
まで相談させてもらった気がしています。
そうした時間を経た僕がブログを書いているのは、
先生にはどう映っているのか、聞いてみたいものです。
別れ際、話していた通り、お店の外に“千鳥足”のやつが出現していました。笑
ですが、実はそれはすごい改善具合でした。
付き添ってくれた母なら覚えているはずですが、
この日、先生のもとに向かう道中で何度も転びそうになってしまい、
母が途中駅でも、ビルに向かう道でさえも、
一人にしてくれないほど、足の動きが悪かったんです。
でも、その恩師に2時間弱会っただけで、
帰りに駅に向かう道では、
恩師に千鳥足でもたれ掛かった元学生に戻れたんです!
これは驚きでしたが、
僕にとっては、人と話すことは何かのパワーを持っているみたいです!!!
だから、これからも人にはたくさん会っていきたいと思います!!!
そこでいろいろな話を教えてください!!!
今では、口も正しく動かなくなって、会話の双方性が失われ、
さらに、そもそもお腹の筋肉を正しく動かせないので、小声でしか話せませんが、
それでもいい方!たまにでいいので会って話しましょう!!!
と、恩師の話かと思いきや、自分の希望を書けたので、
次の話に移ってみます。
次に会った方は、2018年12月、
それまで僕の近くにいたことがない人でした。
おそらく有名人と呼んでもいい方で、
Facebookでは2019年5月28日現在、フォロワー数15,000人以上の方です。
その方を知ったのは、いつもの上司からの連絡でした。
僕は上司に何度となく、
「何も成していない人間が死んでも、世界は何も変わらない。」
ことへの愚痴を背景に抱えながら連絡をしていました。
すると、いつもの上司から会社メールに連絡がありました。
タイトル:目指す像
本文:私が今読んでいる本の著者は、
過去に脳腫瘍を患ったそうです。
こうした人に業務時間内でいいので
会ってみたらどうですか?
添付写真:本の著者紹介ページ
えぇ!教えてくれて有難い!
と思ったのが、初めての印象でした。
僕は昔から健康優良児だったので、他の病気についてあまり分かりませんが、
少なくとも自分が負った病気であれば、
治すのが大変なのは、身をもって知っているつもりです。
なので、同じ脳腫瘍を患いながらも頑張っている人には、
とても惹かれていたんです。
確かにそれまでも、幾度となく病気を乗り越えていかれる方々の話を欲していました。
すごく分かりやすく応援していたのは、小林麻央さんでした。
彼女は乳がんと闘う日々をブログで更新していて、
僕は開頭手術後の入院中から何度も心を助けてもらいました。
でも、僕が退院した2017年4月から程なくして、
彼女は亡くなってしまいました。。。
すると、ニュースを放送する各局が悲しみのコメントを送っていました。
そして、何よりも尊敬して見ていたのが、
彼女のニュースを見て、乳がん検診に病院を訪れる人が増えたと言います
これは本当にすごいことです。
自分の闘病する日々を克明にブログに記録し続けることで、
未来の患者さんを、今の患者さんにして、
さらに遠い未来の患者さんに、検査を受ける意味を教えたんですから。
さすがに僕は有名人でもない、いち患者なので、
この声が届く範囲は限られています。
でも、がんや脳腫瘍といった病気に人生を左右されることなく、
思い通りに人生を終えさせたいのなら、
大切な時間をどう使うのか、
これは読んでいただいている方にはぜひ考えてほしいんです。
論理に飛躍がありますが進みます。
死んでなお、後の世代に何かを遺すことは非常に重要だと僕は思います。
ぜひ何かは僕も遺したいと思ってしまうので、
近い友達には「必ず健康保険には入ってくれ。」と、
「本当に病魔はいつ忍び寄るかは分からないから。」は伝えています。
自分の好きに物事を決定できる人生を応援するよ!!!
話がまた膨らみすぎました。
他にどんな人が脳腫瘍・神経膠腫を患ったか、を主治医に聞くと、
津田恒美さんという広島カープで投手をされた方がいる、と。
有名選手が脳腫瘍、しかも神経膠腫が病名であったことに、
医療界では少し有名になったと言っていました。
仕事終わりに本屋さんに寄り、
その投手の本を2冊ほど購入し、
自宅に帰ってすぐに読みました。
でも、どんな人だったら脳腫瘍に打ち勝てるんだろう。。。
に答えてくれる本ではありませんでした。
僕が主治医にした質問がいけなかったと分かりましたが、
他にどんな人が脳腫瘍・神経膠腫を患ったか、
その人は何か書籍等を遺しているか、
に主治医は正しく答えてくれただけでした。
そんな変な質問をした僕は、
本を買った時には知りませんでしたが、
1冊を読むことで精いっぱいになってしまい、
それ以後一度も開くことはありませんでした。。。
僕が読んだ本は、津田さんの奥様が書かれていた手記をベースに書かれていて、
外から見た奥様の目線が載っていました。
今の僕が読んでいたら、僕と他人との目線の違いに泣いてしまいそうです。
例えば、家の床を歩く時に、父から言われる「今日は左足が出にくいな。」です。
こう聞くと、左足に何か問題があるのか?と考えてしまいますが、
でも、僕個人的には右足に問題があるとしか考えられません。
足の置き場が悪く、どうしても左足を前に進めることができないだけです。
無理に進んでも転んでしまいそうになるので、
左足が悪く見えてしまいます。
僕の病変ははじめから左脳の視床の近くに発生して、
今では小脳にまで達しています
小脳の神経伝達は逆半身には行かずに、
左脳に腫瘍があれば左半身に影響があるらしいですが、
その影響だとは僕はまだ考えていません。
なので、そうした事実が認められるのを待ってね、おとう。
もちろん、病気が広がっていないことを僕は祈るけどね。
でも、津田投手のように、何かを成した人でなければ何も遺せないことに疑問があって、
有名な方にお会いしたところがあるのは事実です。
ですので、上司の言う通り、業務時間内(とはいえ18時から笑)に、会ってきました!
僕はFacebookを通してその方にメッセージを送りました。
最初の連絡で聞いてしまいましたが、彼は良性腫瘍だったようで、
手術や宣告はつらかったと思いますが、
そこまで病気に悩んでいる印象はありませんでした。
そうかあ、、、とは思いつつ、
それでも似た病気を背負った人生の先輩が、
不躾なメッセージに長文で返してくれたので 、
直接会ってみました!
会えたのは、2018年12月半ば。
場所はまさかの向こうのご自宅。
ご自宅はご本人から連絡から判明し、
住所をメッセージで教えてくれました。
え、これが大人?
顔も見たことないのに??
僕が変な商売人で、住所売っちゃうかもしれないのに?!?!
12月の時点でかなり歩けなかったので、
母と通院後にタクシーで向かいました。
指定された住所に着くと、
確かに言われた表札のようなものがありました。
でも、一段一段が高い外階段がありました。
以前書きましたが、アバスチンという点滴薬を使っている僕は、
転んで骨折すると治りが遅くなってしまう、
という若干無茶がある治療を中心に計画を立てていました。
だから、通院直後だったこともあり、母と相談して、
僕が転ばないように母に背中を支えてもらい、
インターフォン後に先生が出てきたら、
そこで母と別れようと決めて行きました。
ピーンポーーーン。。。
当時の僕はとても緊張していて、
もしお忙しくて出てこられなければ帰ろう、と思っていました。
でも、先生はすぐに答えてくださって、
さらに、なんと母ごと!お宅に入れてくれました。
すぐにいい人だと分かり、
思い付いた質問はすべてしよう!
と心に決めて、招かれた部屋に行きました。
まずひとしきりのお礼と病気の説明をして、
一度誰かに聞いてみたかった質問してみました。
「最近、内村鑑三の『後世への最大遺物』を読みました。
すごく雑に内容を要約すると、
後世に遺すべきものは3つで、
それは、金、事業、思想でした。
なかなか長く生きられるという保証が持てない僕は、
何を目標に生きていけばいいのでしょうか。」
これを誰かに聞いてみたくて堪らない1年だったのが、2018年でした。
まずは、先生に言っておかないと。
ありがとう。
先生はいくつか質問をしました。
例えば、こんな感じでした。
「がんという病気が持つ唯一の功名は、
余命を言ってもらえるところだと言います。
君は何て言われてる?」
僕は、嘘は付けないと思い、正直に答えたはずです。
「正確には言われていません。
でも、5年生存率は10%ちょっとでした。」
先生はそれに対して、何かを言ったとは覚えていませんが、
でも、最初の僕の質問を意識してか、続けてくれます。
「僕の知り合いに、仕事一筋で来た友達がいるんだけどね、
彼が、結婚して子供が生まれたら、
人生すべてをやりきったみたいになっちゃってね。
だから、それぞれの人ごとに人生のゴールは違うんじゃないかな。」
うん、そこは一応分かってはいるんだけどーーー!
とは思っちゃいましたが、
逆に簡単に「金を貯めていこうぜ」と言われていたら……、
と考えると、僕がどんな行動に出ていたか分からなくて怖くなりますね。。。笑
最後を締めくくってくれたのは、チャップリンの言葉でした。
「チャップリンが言ったんだけど、
愛と勇気と〇〇が人生には必要だ、って言ったんだけど、
分かる?」
いいえ、としか答えられなかった不勉強な僕に答えを教えてくれました。
「少しのお金、だってさ。」
これは僕の感じ方ですが、
お金という概念と離れた方がいい、
とでも言っているようでした。
というのも、フレームワークとして1番に出てくる「金」を、
「自立の象徴」と言われ、
たぶん僕がつらそうな顔を見せてしまったんでしょう。
そうしたことがあっての、チャップリンの言葉なのかなと邪推してしまいます。
↑これを書いているうちに、前半の恩師にも同じ質問をしていたことに気が付きました!
恩師には確か、病気で働くこともできていない状況+死までの時間から、
「金と事業は考えられないです。」
「だから2018年で一番泣きました。。。」
と言ったと思います。
すると、恩師はかなり明白な答えを言っていました。
「じゃあ、思想しかねえな!」
えーーー!!!
それ言うーーー?!?!
僕の中では、3つの中でも「思想」が圧倒的に難しいと思っていましたが、
何か遺すしかねえな!
と前を向けたのは、恩師によるところが大きいな、と思います。
だって、退店の際は、予想通りに“千鳥足”になってはしまいましたが、
ブログみたいな単発系はどうか、と聞いてくれたのは、
あなたくらいでしたから。
ふざけた生徒だった僕は、何だかはずかしくなってしまい、
漫才文化で育ったので、単発系だとボケ倒しちゃいますよ~笑、
と返しましたが、恩師は多領域で知識がしっかりされているので、
お前が落語を書けたらびっくりだわ、
と言ってくれたことは忘れないでおきます。
たぶん書いてはいないですが、
いろいろと面倒なことを質問した方はもっといます。
というか、それだけ多くの人に迷惑をかけていないと、
僕が笑えている理由がわかりません。
なので、今更ですが、改めまして。
皆さん、本当にありがとうございます!
僕は以前に書いていると思いますが、
「人との繋がりの中から思考を巡らし、考えを発展させ、時には自分から人を刺激しながら、
最後にはすべての関与者に恩を返すつもりで幸せを運べる人間を目指したい」
と書いています。
ですから、皆さんが笑顔になれるような“何か”を届けられたら、
と思って、毎回更新しています。
まだまだ何もかも不足している僕ですが、
少しでも前を向いて、いい人生を送っていきたいです!!
ちなみに、最近では、何もできなくなってしまい、
障害者手帳の発行が濃厚です。
6月に会えたらいいな、と約束をした皆さん、
悪いけど、本当にご飯を口まで運んでもらうかもしれません。
ごめんね。
また次回にお会いできると幸いです!
では次回!!!
