芸人として東京に来て、15年が経ちました。


自分でも「よくもまあ15年も…」と思います。

東京に来て最初にやったネタを、いまだに営業でやったりしています。


もはや当時のことを知っている人なんて殆どいないでしょうし、少し書いてみようと思います。



2008年10月。


大阪でナッパとのコンビを解散して1ヶ月ほど、ピン芸人としてリスタートするような形での東京移住。


東京吉本の事務所に行き、プロフィールを提出する際にはじめて、自分の芸歴を知る。


仕事なんてほとんどないわけで、まずは事務所ライブにエントリーする。

当時出演できたのは、吉本芸人としては最下層のライブで、毎月、ケータイからエントリー→後日ネタ見せ→後日ノルマチケット買い取り→後日ライブ本番という大変な手間をかけた上でネタ時間1分、30組以上出演、お客さん投票で1位のみが上のライブに昇格できるという、地獄のようなシステムでしたw 


初出演、確かに手応えはあったものの、結果は2位。

後から知ったのですが、同じ日に出演している仲の良い芸人たちからチケットを買い取り、たくさん知り合いやお客さんを呼んで投票してもらう、みたいな技があったそうです。1位の人がどうだったか、誰だったかも知りませんが…


翌月のエントリーはすでに締め切られており、そこから半年以上、月1回、ネタ時間1分というどうしようもない環境で過ごす。

当然、圧勝できなかった自分が悪いのです。

その間に、楽しんごや2700のような芸人は一発で昇格し、すぐに売れていきましたし。東京でのスタートダッシュは完全に失敗です。


一方で、山里さんやバッファロー吾郎A先生、せきしろさんがやっているライブや、k-proのネタライブに呼んでもらえることもあり、そこでは純粋に面白いだけの空間、底辺ではない世界を感じることができました。


しかし、それだけではまだまだ活動が少ないと思い、当時、唯一のSNSといっても過言ではなかったmixiを使い、東京のお笑いライブ情報を集めていました。

出れそうなライブがあったら主催者にメッセージを送り、ノルマがあれば払ったりして出演させてもらう。


今でもそうだと思うのですが、基本的に、吉本の若手芸人が勝手に他のお笑いライブに出るのは禁止です。出るなら事務所を通してそれ相応のギャラをもらう、という話になるのです。


当時はマネージャーどころか、相談できる社員すらいませんでした。

なので会社には言わず、告知もせず、勝手に出ていました。ギャラを貰わなければいいだろう、と。

「闇ライブ」なんて呼び方をする人もいますw ライブ側に失礼な気もしますけどね…

言いつけを守ったところで何かいい事あるわけではないし、月1回、1分の出番を待つだけなんて時間の無駄だと思ったからです。


なので、仕事もなく「ネタやりたい」なんて言ってる芸人がいても、「自分でライブ探して出たら?」としか思いません。何で何もせずに呼んでもらえると思っているのか不思議でしょうがない。


経験を積むのもそうですが、色んなライブに出ることで、吉本じゃない芸人と知り合えるのも大きい。

今ではすっかり売れっ子の人も、お客さんが10~20人くらいしかいないようなライブに一緒に出ていたり。


そこから数年は、大した記憶もないほど燻っていたと思います。

当時最大のチャンスだったR-1ぐらんぷりやショートネタ番組にも一切引っかからず。


そんな感じなので、まあ吉本内での序列は低かったというか、舐められてたと思います。そらそうです。後輩から「大喜利とかできるんすか?」とか聞かれてましたねw


ライブ出演はノルマでマイナス、当時から毎週やってたニコ生も、初期はノートパソコン1つ渡されて何かやれ状態な上にノーギャラだったりして、とにかく金がない。

そんな中で少しずつDB芸人や劇団アニメ座のような仲間が増えてきて、事務所ライブも少し上にいったり、主催ライブなども行えるようになっていった、という感じでしょうか。

今や、そんな仲間たちの内部事情をYouTubeで喋って潰そうとしているわけですw



…苦労話みたいになってしまいましたが、それなりに楽しく過ごしていたと思います。


ギリ20代、みーんな売れてない、金もないのが当たり前だから、大して悲観的にもならなかったんです。YouTubeやSNSで稼ぐ、みたいなシステムもなかったですし、今より芸人が純粋だったかもしれません。


長々と振り返った感想は、特にありません!初心に戻ろうとかもないですね!