「自殺はいけない」と我々が言わないといけないのは、否定しておかないと増やしてしまう可能性があるからだと思っています。

自殺というのは、本人の不幸を終わらせる代わりに残された人に不幸を与えてしまうので、「自殺はいけない」というのはただの残された側の気持ちなんじゃないでしょうか。

本当は「自殺をするような社会にしてはいけない」なのですが、それは戦争や差別をなくすのと同じで人間には不可能なことなので、「ダメ!とにかく死ぬな!」と言うしかないんです。

私は、肯定するわけじゃなく、選択肢の1つだと思っています。
ただし、本当に最後の選択肢。
だって、生き地獄なら生きない方がいい。
そこまで追い込まれた人の選択を否定したくはない。

何も死ななくても、逃げたり耐えたり戦ったりしてその状況を変える方法はあるとは思いますが、そんな希望すら湧かないのが、「絶望」という状況なんだと思います。

自分を終わらせたい、親しい人に迷惑をかけたくない、これを天秤にかけて、自分を終わらせたいになってしまった人が、自殺という選択肢をしてしまうんでしょう。


そんな何の救いもないことだけを書きたかったわけじゃなくて、けっきょく「言葉に救われる」という場面は多いんじゃないか、と思うんです。


傷付けるのも言葉、救うのも言葉。


私は高校の頃、これという明確な理由もなく、絶望的な気持ちで過ごしていました。

今だから平気で書けますが、少なくとも2年間は、毎日死にたいと思っていました。
自分が二十歳を迎えることすら想像できなかった。だから、今生きてるのはラッキーというかオマケ人生というか、逆に気楽なんです。あの頃の無力感、絶望感に比べたら何も大したことはありません。

高2の頃だったと思うんですが、本当にもう死のうと思った時に、祖父母の顔が浮かんでやめました。両親じゃないのがヤバいよねw


“半分ジョークでセッティングしてそこに立ってみた時 マンガみたいな量の涙が溢れてきた”
続・くだらない唄 / BUMP OF CHIKEN


両親、特に父親に精神的に追い詰められていた時、祖父が祖母に言った「いいからあいつの好きにさせてやれ」という言葉に救われました。
不良でもないのに「お前はダメだ」「言うことを聞け」そんな言葉ばかりの中、肯定されるだけでこんなに救われるとは。
口数は少ない人でしたが、家族の中で自分のことを褒めたり、肯定してくれるのは祖父だけだったかもしれません。
いまだに褒められたり祝われたりすることに慣れないのも、こうした歪な家族関係が原因でしょうか。闇は浅い。


うだつが上がらない会社員をやめて芸人になろうと決意したきっかけも、たまたま電車の中で聞いていた、Mr.ChildrenTomorrow never knows」歌詞でした。
その程度、と言ったら失礼ですが、ふと聞いた歌とかで人生の選択が変わったりもするんです。


芸人になってから5年以上は、仕事が安定せず全然お金もない、死にたいなんて思うことはなかったですが、上の人から聞いてもないのにダメ出しされたり、自分のやり方は間違ってるんじゃないか、その程度の悩みはありました。

そんな中、飲んでる時にふと言われた、山里さんの「まあ、お前は大丈夫だよ」、バッファロー吾郎A先生の「お前は大丈夫だと思うわ」という言葉に救われました。
奇しくも別の場所で、悩みを吐露したわけでもなく、尊敬する2人から同じ言葉を言われました。
この人たちにそう言ってもらえるなら、芸人としてやっていけるんだろうな、そう思えました。

興味がない、自分の中で価値のない人から何を言われようと浮かれも傷付きもしませんが、好きな人、尊敬する人に肯定されるのはこうも救われるのか、と。


そういえばAVも、ソフトSというか、否定ではなく肯定気味に優しい言葉で攻められる方が好きです。合意のない行為には興奮しません。なので、直接金銭を払ってそういうシチュエーションをお願いするのも多分ダメです。


完全に余計な情報を挟んでしまいましたが、アニメでもマンガでも歌詞でもいい、世の中にはたくさん悪意のない言葉も溢れていて、まるで今の自分に向けられてるんじゃないか、みたいな言葉もあったりして、ふとそういうものに救われることは多いと思います。

弱ってる時は、自身は行動しなくてもいい、自分に都合のいい言葉だけを受け入れることができれば、少しはマシになることもあるんじゃないか、ということが書きたかったのに、皆さんの心の中には、私のAVの趣味しか残っていないことでしょう。他のも見ますよ!