春夏秋冬 -2ページ目

春夏秋冬

今日も笑顔で一日が過ごせるように頑張ってます。

春よ来い^^

「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」
とても悲しい夢で目覚めた。

写真の整理をしようと、写真をしまってある大きなクリアボックスを開けて、子供の成長の写真や学校行事の写真などを、開いてみたら全てが見知らぬ人の顔になっているという夢だった。。。

場所も、その時の様子も、着ている洋服も、靴も全てが私の記憶と同じなのに、人物だけが、私の家族だけが知らない人になっている。
当然 私もいるのだがそれは私ではなく知らない誰かで、知らない人が私の記憶の中で笑っている。

その何枚もの写真が私の手からばらばらと落ちていくところで目が覚めた。


悲しくて目覚めたあともしばらく呆然としていた。

私は家族に捨てられてしまうのだろうか。。
そんな思いまで湧いてきてとりとめのないバカバカしいことまで考えてしまう。

これが新年にみる夢でなくてほんとによかったと思った。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。


若いときにこの歌を聞いて以来ずっと行きたいと思っていた鎌倉にまだ行ったことがない。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

「冬の苺 匙に圧しをり別離よりつづきて永き我が孤りの喪」  松田さえこ

「ふゆのいちごさじにおしおりわかれよりつづきてながきわがひとりのも」

俵万智が2001年に出版した「あなたと読む恋の歌百首」
この本は少し前までいつもバックに入れて暇があると開いていた
どのページを読んでもそれぞれの作者が、それぞれの愛を歌に詠んでいる。

自分と重なる想いがあったり、重ならなくともその気持ちわかるなあ~と思える歌がたくさんある
その表現の美しさには感心して心を奪われてしまう

前出の歌は、前回ここで冬の苺を書いた時、正確に思い出せなかったので書かなかったけれど、今日新たに読み返して取り上げてみた。



  

$今日はいいことあるかな?-111218_175302.jpg

今日、大粒で美味しいイチゴを頂いた。

味もとても美味しかった。

でもイチゴは今が旬ではない。クリスマスにあわせてハウスで栽培され今たくさん出回っている。

冬のイチゴを見ているとなぜか悲しい。。。
私がいつも利用しているショピングモールの屋上駐車場から南を見ると、大和三山がきれいに見えます。

香久山 畝傍山 耳梨山

万葉集に

「香久山は畝傍山を愛し、耳なし山と争ったらしい。
神代の昔からそうであったのだから、今の世においても人々は妻を争うのだろう」

「香久山は、畝傍を愛し耳梨と 相あらそいき 神代より 斯くにあるらし古昔 然にあれこそ

うつせみも 嬬をあらそうらし」

と詠まれています。

今も、昔も人は恋をして生きていたのだと思うと、ちょっと嬉しい気持ちになって大和三山を眺めます。



 
このところ微妙なお年頃のせいか、体調が優れない。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

鍼灸治療に通って多少はましになってきた気はしているのだが、ちょっと元気がでない。

「更年期障害」という言葉は自分でしっくりこないけれど、毎日 頭痛に悩まされている。


そんな日曜日 京都へ行ってきた。

知人の案内で、美味しいものを頂き、南禅寺を歩き「いづ重」の鯖寿司のお土産まで頂戴して帰ってきた。

京都は何度行っても飽きない。

近いのでなんども行っているけど、いつも新たな発見があって楽しいもみじ

紅葉には少し遅かったけど、晩秋の京都も趣がある。

多少体調が悪くても、気持ちを切り替えてお出かけするもの大事なことだと思える。

今日はいいことあるかな?-111211_144738.jpg
南禅寺 三門



この曲をよく聞いていた若い頃

何を悩んでいたのか、何が苦しかったのか、正確に思い出すことができない。

青春の悩みは、今思い返すとなんでもなかったような気がするけど、悩んで、苦しんでいた。

悩んでいる自分に酔っていただけだったのかもしれない。

だけどこの曲は、若い心にすっと入ってきて、さらに悩んでいる自分を演出できた。

懐かしき青春の日々。。。
一年も終わりに近づいて、来年度の手帳を新しく購入した。本

バックの中から今年の手帳を取り出して、一年を振り返ったりしていると手帳の裏表紙に挟んである雑誌の切り抜きを見つけ取り出してみた。

何の記事だったかさえ忘れていたのだが、開いて思い出した。

週刊文春の土屋賢二のコラムの切り抜きだった。

「人間がキヨラカになれない理由」
と題された1ページだけの私のお気に入りのコラムだった。

特にその記事で私は肩の荷が下りたように気持ちが軽くなった事を感じていた。
そこには
「人間には光の部分と闇の部分があり、空高く飛翔する時もあれば、泥の中を這いずりまわることもあ

る。 その両方が無いと生きていけないのではないかと思う。

人間には心を洗う天上の音楽も、泥臭い音楽も必要なのだ。 決意したら挫折し、堕落したら挫折す

る、という繰り返しは必然なのだ」

「たぶん人間はシミ一つない清らかな生活には耐えられないのだ。清廉潔白で気高い自分など、嘘っぱ

ちのような気がしてしまい、ぶち壊したくなるのだ」

そのような事が書いてあった。この記事を切り抜いた時の私は、何事も完璧にできない自分が嫌で、少しでもよくありたいと思う気持ちと、何もできない自分との間で思い悩んでいた。
これを読んでその苦しみは一気に解消された気がした。

今年を振り返ってみても、少しか頑張れなかった自分だけどそれでもいいなぁと思う晴れ
暖かな師走の午後に。。。。。