一年も終わりに近づいて、来年度の手帳を新しく購入した。

バックの中から今年の手帳を取り出して、一年を振り返ったりしていると手帳の裏表紙に挟んである雑誌の切り抜きを見つけ取り出してみた。
何の記事だったかさえ忘れていたのだが、開いて思い出した。
週刊文春の土屋賢二のコラムの切り抜きだった。
「人間がキヨラカになれない理由」
と題された1ページだけの私のお気に入りのコラムだった。
特にその記事で私は肩の荷が下りたように気持ちが軽くなった事を感じていた。
そこには
「人間には光の部分と闇の部分があり、空高く飛翔する時もあれば、泥の中を這いずりまわることもあ
る。 その両方が無いと生きていけないのではないかと思う。
人間には心を洗う天上の音楽も、泥臭い音楽も必要なのだ。 決意したら挫折し、堕落したら挫折す
る、という繰り返しは必然なのだ」
「たぶん人間はシミ一つない清らかな生活には耐えられないのだ。清廉潔白で気高い自分など、嘘っぱ
ちのような気がしてしまい、ぶち壊したくなるのだ」
そのような事が書いてあった。この記事を切り抜いた時の私は、何事も完璧にできない自分が嫌で、少しでもよくありたいと思う気持ちと、何もできない自分との間で思い悩んでいた。
これを読んでその苦しみは一気に解消された気がした。
今年を振り返ってみても、少しか頑張れなかった自分だけどそれでもいいなぁと思う

暖かな師走の午後に。。。。。