2年前の今日、彼とプーケット&バンコクへ旅立つ予定でした。
手許に資料が残っていないのですが、確かプーケット4泊・バンコク2泊の予定だったと思います。


初めて海外で経験する年越し!
プーケットでは31日にホテルごとに「ガラ・パーティー」というイベントがあるらしく、ドレスアップしたその後に逆プロポーズもしちゃおうかな、なんてひっそり考えていました・・・(///∇//)
プーケットではのんびり&シュノーケリング。
さらに美しいピピ島まで足を伸ばそうと予定していました。
バンコクでは遺跡巡りとショッピング。
アジアン雑貨もタイ料理も大好きだったので、街ブラも楽しみでした。


が!


出発3日前に飛び込んできたスマトラ沖地震のニュース。
最初の頃は情報も少なく、インドネシアだけの問題なのかな・・と思っていたらプーケットも直撃。
テレビに映る風景、下調べで見ていたプーケットの風景とは別物。
とても悲しい災害でしたね。。


びっくりなのは、旅行会社に確認をとったところ「希望があれば催行します。」とのこと。
いや、心情的に行けません・・ということでキャンセル料なしでキャンセルすることが出来たのですが。

運命はどこでどう変わるか分かりません。
もちろん、この災害で亡くなられたり行方不明になられた多くの方、現地に住んでいる方のことを思うと、自分のことなんてどうでもいいのですが・・・。


それでも、


地震が3日遅かったら。


地震が起きなかったら。



と思う日が続きました。

そして、今日も思いました。


地震が3日、いや5日遅かったら、ビーチでのんびりどころかピピ島に向かっていた私は、そこで命を落としていた可能性があります。
命を落とすことはなくても、あの惨状を目の当たりにしたら、いずれにせよ人生観や彼との関係は変わったと思います。


地震が起きなかったら、楽しい時間を過ごし逆プロポーズも成功して(←かなり勝手)、結婚して子供を持っていたかもしれません。
妊娠することで、この歳で卵巣がんになることもなかったかもしれません。


でも、現実は地震は2004年の12月26日に発生しました。
私はシングルで卵巣がんになり、子供も一生持てなくなりました。
がんになったこととシングルであることは関係ないけれど、こういう節目の出来事を思い出すと、どうしても関連付けてしまいます。


こう書いている今、不可抗力な何かがが起こるかもしれません。
自分の意志や体調とは関係なく。
だったら、一日一日を大切に充実したものにしたいです。
最近、ダラダラと過ごしてばかりいたので、特にそう思いました。
体調が悪いときや副作用がひどいときはダラダラしてもしょうがいないけど、気持ちまでダラダラしてはいけませんよね。
「がんだから」これからのことは分からない、のではなく、「がんになった自分」のこれからの人生計画を立て直したいと思っています。


いい所だから、復旧したら絶対行こうね、と彼と約束したけれどその約束も果たせずに2回目の年末を迎えます。

プーケットに限らず、綺麗な海を見たいなぁ。

カンクンとモーリシャスで見た景色、過ごした時間が頭から離れません!

(ハワイやバリもきれいだったけど・・・。)

髪の毛は治療が終われば復活するとしても、ストマがある限り水着になることはもう出来ない。

でも、見ることはできるものね。


海だけではありません。

まだまだ見たい景色、行きたい所がたくさんあります。


行きたいのになぁ。

行けるかなぁ。


行くためには治療を終わりにしないと、体力もつけないと、行くための資金のために働かないと!


スマトラ沖地震で犠牲となった方々のご冥福を心からお祈りいたします。