前回の記事では、「自分が思っていること」をあたかも「がん患者みんなが思っているようなこと」のように書いてしまいました。
きっと、嫌な思いをされた方も多くいらしゃったと思います。
ごめんなさい。。
それでも、正直な気持ちで、丁寧にいただけたコメント、とてもありがたく思っています。
みなさんからいただいた気持ち、私も共感することがたくさん。
自分のブログの文章に上手く表現できなかった思いをいただいたような気持ちでした。


実は、前回のブログに書いた後も「多くの人に嫌な思いをさせてしまったのだろうな」という気持ちと、今後の治療について主治医と話し合ったこと、進行がんの難しさなどを目の当たりにして、数日考え込んでいました。
ある晩には思いが抱え切れなくて大泣きしてしまいました。
勝手に涙がこぼれてくるのです。
(パキシルの飲み忘れ、もあるのかも。)


自分の状況が難しいことは自分がよく分かっています。
それでも希望を持って社会生活に復帰したい、夢をあきらめたくない、ということはいけないのか。
単なる「未練」なのか。
私は「未練」が振り払えずに苦しんでいるだけなのか。
やはり、いろいろなことをあきらめて、家庭を持つことも許されない、仕事をすることも許されないのか。
がんについて無知な彼(それはつまりがんとは関わりのなかった一般の人です。)に言われたように、「がんは治らない病気」であり「普通に生活するようになること」は無理なのか。
社会の方々に理解してもらうことは無理なのか。


社会的には、表面上は以前の生活に戻りたい。
仕事をしたり、友達と遊んだり、笑って話したり、いろいろな所に行きたいし見たいものがたくさんある。
いろいろな経験をしたい。楽しみたい。
恋愛だって結婚だってしたい。

大きな何かを成し遂げるためにではなく、幸せだと思う毎日を大切に生きていきたい。
「がん患者」である前に「一人の人間」でいたい。


だけど、自分ががんになった、という事実は大きく変わっているのだから、その気持ちはずっと持ち続けることになる。

きっと社会復帰ができたときには、「がん患者でない方との隔たり」に悩まされるだろう。
今でも「がん」のことが頭からずっと離れない。
こういう意味では、「一人の人間」である前提に「がん患者」であり続けることになるのか?


この複雑な思い、上手く表現できません。


そういう気持ちに苦しまされているとき、昨日一つの新聞記事の掲載の連絡がありました。


以前きゃんべる。さん ボタニカル・キッズクラブ のイベントに参加したとき(そのときの記事はコチラ )に、朝日新聞の記者の方に出会うことが出来ました。
思い切って、卵巣がんの未承認薬問題・署名活動についてと、私が会員にならせていただいている
卵巣がん体験者の会「スマイリー」 についてお話させていただきました。
また、メールで私の思いを話させていただき、このブログも見てもらえたとのこと。


その後、卵巣がんの未承認薬問題・署名活動について記事として掲載していただけることになり、会の代表の片木さんが取材を受けられました。
掲載にあたっては、現在22,000名もの署名が集まっているという事実も大きく、卵巣がんだけでなく部位を越えてブログやHPをお持ちの皆様にそれぞれ紹介していただいたこと、スマイリーの会員の思いや力、そして署名をいただいた皆様のご協力の結果だと思っています。
本当に感謝・感謝です!

このことがきっかけで、さらに多くの署名が集まり未承認薬の早期承認へつながることになることを切に願っています。


そして、「抗がん剤の早期承認を巡る署名の話を書くと同時に、患者さんがいかに困っているか、いかに焦っているか、ということを記事に盛り込んではいけないでしょうか。」と連絡をいただき、私の方でも記者の方と1週間程何度かやりとりをしていました。

記者の方は、とても真摯に受け止めてくれ、一度書いた原稿を、私の思いを汲み取ってくれ書き直してくださったぐらいです。

本当に感謝の気持ちでいっぱいです。


未承認薬問題を記事にしていただいただいたこと、一般の方々に「こういう問題があってこういう活動をしている」という実情を知っていただくきっかけになったことがまず嬉しいです。

そして私個人としては、記者の方に気持ちが伝わったことが嬉しいのです。


ここで表現がヘタな私がいろいろ書くと変になってしまうので、よかったら記事をご覧下さい。

記事の後半の「32歳の女性」が私のことです。
(写真は代表の片木さんですっ。)


◆アサヒコムHPより(新聞記事と内容は同じです。)

http://mytown.asahi.com/tokyo/news.php?k_id=13000130612140001


へこんでいるまさにそのとき、実際に掲載された記事を読んで、「自分の考えががん患者みんなの考えじゃないのに、嫌な思いをしてしまう方がいるだろうな・・」と不安にもなりました。

が、やっぱり自分は「希望を持って自分の可能性を否定せずに生きていきたい」と再確認しました。
そして、今回記者の方が真摯に向かい合ってくださったことを心から感謝しております。

太字で印刷された「希望持ち生きている」という言葉。

この言葉を太字で書いていただいたこと自体、気持ちが通じたのかな、と思っています。

また、「自分の可能性を否定することなく生きていく」・・・この言葉、まさに未承認薬問題に係る署名活動のきっかけとなりながらも亡くなられた「たひさん」からいただいた言葉だったのです。


昨日、職場へ1年3ヶ月ぶりに行きました。(この話はまた後ほど。)
そのとき、尊敬する上司の奥様が、他部位のがんによる骨転移で半身不随になってしまいまったことを聞きました。
(その上司には、私が進行している卵巣がんになったことは告知を受けたときから話しており、今までもメールでいろいろと励ましてもらっていました。)
奥様は、今は食事も点滴のみ、寝たきりの生活とのこと。
上司は私に、治療の選択はいろいろあること(未承認薬、代替療法を含めて)、気持ちの持ち方などを親身に話してくださいました。

そしてこう言われました。


「妻がこんな状態になっても、私も妻もあきらめていませんから。」


涙が出そうになりました。(上司の前だから泣けない~。)
その言葉が頭からずっと離れません。
どんな形であれ希望は持ち続けていきたい。


私は「社会復帰=仕事をすること」とは思っていません。
人それぞれ社会復帰の形は違うと思います。

ただ、家庭もなく他に打ち込めることは今のところない私にとっては、以前の生活に戻るか近づけること、それはまず仕事をすることが前提なのです。
もちろん、病気になる前の仕事のスタイルには戻れないと思っているし、あんな激務は出来ません。
スタイルを変えてでも社会の一員として働き、色々な人と関わって生きていきたい、そう思っています。
いざ復帰できたとしても、そのとき実際に仕事が続けられるか、それも分かりません。
体と同時に心の問題もありますから・・。
でも、今は「社会復帰をすること、以前の生活に近づけること」を目標に希望を持って生きていきたいです。
そして、そればかりに躍起になるのではなく、毎日を大切に楽しく過ごせたらいいなって思います。


ちなみに、私は仕事人間でシングルでいたわけではありませんっ。
ま、仕事自体は好きだったし、誇りを持ってやっていたつもりですが。
職場の方々も気が合う同僚や先輩、仕事の面だけでなく人間的にも尊敬できる方が多かったので、「会社」も好きでした。
が、「恋愛・結婚より、仕事よっ」となんて・←これっぽっちも思っていません。
早く結婚して家庭を持ちたかったのに、縁がなかっただけです~。
(あるいは、性格に問題があるのか、女性としての魅力に欠けていたのか!?)
結婚していればここまで「仕事、仕事」と拘らなかったと思います。
自分の家庭を持ち、家庭での役割を果たすこと、これも立派な「社会復帰の形」だと思うから・・・。