先日のday15はトポテシン(イリノテカン)一剤の投与だったのですが、副作用がどんどんきつくなってくる感じです。
寒いし、熱いし(更年期症状?)、だるいし、気持ち悪いし、で寝てばかり。

はぁ~(´□`。)


つづきです。

なんだか日記(ノートパソコンで記録していたのでつらつらと書いてあります。)は、「気持ち」のメモが多いです。

もちろん、全部じゃなくて一部の日記です。

暗いです・・・Y(>_<、)Y


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◆2005年 9/21 ①10日目◆
心電図レントゲン肺機能検査


家族(両親、叔母、妹)とともに主治医より手術の説明を受ける。
2時間の時間をかけて丁寧に説明してくださいました。
またもや妹のメモが大活躍!


以下、妹のメモの抜粋です。


28日8:15に入室ope
開腹し、tuwor見つける→卵巣+卵管を迅速診断。
Ca(+)なら原発により各々のやり方に準じてope
今のSo
 ①卵巣
 ②卵管
 ③子宮体部
 ④消化器
 
※卵巣がんは、「開腹してみないと原発巣や悪性・境界悪性・良性の診断が確定しない」とも言われます。
また、入院時の子宮体部の細胞診でCa(+)でったため、子宮体部原発→卵巣転移、又は稀であるが卵巣・子宮体部両方原発の可能性もあったとのこと。


胸水・腹水のCa(+)を考えると、卵巣を温存するのには生命のリスクが高い。
また、子宮体部Caだったとしたら、両卵巣へ飛んでいる可能性が高い、
→温存せずに、子宮及び卵巣を取った方が安全。
卵巣を取ると(卵巣ホルモンが出なくなるから)更年期症状のようになることもある。骨粗鬆症が危険。
←ホルモン療法や漢方が有効。


〈opeについて〉
腹式単純子宮全摘術+両側付属器切除+大網切除+後腹膜リンパ節郭清
目安 4Hぐらい(外科領域にかかればもっと。)
・子宮
・両側付属器(卵巣のこと)
・体網(胃から垂れ下がっている幕)
・リンパ節(骨盤内のもの)
  ←転移の可能性が高い。
   腫れているものでも、Caがあるかないかは分からない。
   術後病理診断、後で結果が分かる。
   合併症として、足がむくみやすくなる。(・・・などリンパ浮腫の説明)

腸に転移している場合、腸も取るかも、ストマの可能性もある。
腹にD挿入のまま帰室。←ope後腹水が出てくるかどうかを診る。


〈胸水〉
←v lineからの抗癌剤でたたくつもり。


〈横隔膜の痛み〉
←Ca細胞がついていての痛みかも。右の方の横隔膜につきやい。


〈キズ〉
妹、こんな図を書いてくれました。私がope室から出てきたときの様子らしい。

なんだかリアル~(;´▽`A``


〈化学療法〉
ope直後からやってみたい。
opeで取ったものによって、何を使うかは決定する。
おそらくタキソール+カルボプラチン
3wごとに6回入院(間は外来採血、週に2回)
その後は定期健診で診ていく。
WBC↓なので、人ごみを避けたりマスクをしたりちゅういしないとならないことがある。


〈卵子凍結について〉
日本では出来ない。(?)
受精卵だったらやや安定しているが・・・。


〈再発〉
1か月ごとに外来で診てfollowしていく。
骨盤内エコー、CT、腫瘍マーカー。
再発としては、腹膜播種が多い。


〈若年がん患者〉

子宮頸がんについては30代前半の人が多い。

社会復帰している人も多い。


黄色い花この日の日記より
子宮+両側卵巣切除ということで、赤ちゃんは完全に無理・・・。
本当に本当に残念だけど、生命の方が大切なのは分かっているし、手術と化学療法を頑張って自分の体を大切にすれば、半年後には今までどおりの生活が出来るのかもしれない。
私が嫌なのは、「生きること」だけを考えて治療してくことだったから、「出産できない」こと意外は通常の生活に戻れるなら頑張る。
相変わらず一番会いたい彼と連絡がとれないのはへこむ。
せめて電話に出てくれて声を聞かせてもらえれば、もっと元気になるのに。
回復したときに、今までどおり接してくれればいいのかな・・・って思い始めている。
今週末あたりにお見舞いに来てくれないかな。


◆9/22 ①11日目◆
CT検査
乳腺外科の検査。(←私が不安だからとお願いして入れてもらった。)・・結果は問題なし。


黄色い花この日の日記より
妹からお母さんとお兄ちゃんの気持ちを聞く。
退院しても、化学療法が終わっても実家にいさせ東京にはもう戻らせない方がいいと言っているらしい。
私は病気のことだけを考えて「生きてく」だけの人生は嫌。
だったらいなくなっちゃった方がいいなって思ってしまう。
回復するまでは家族に支えてもらうしかないし、そうすることしか出来ないけど、元気になったらまた同じ生活がしたい。
閉じこもっていないで、出産はできないけど結婚はしたいし職場に戻れるかは分からないけど仕事もしていきたい。
社会から隔離されるのが嫌。
今は妹がその気持ちをよく分かってくれているみたいだから、家族のことは今は彼女にまかせようと思う。


◆9/23 ①12日目◆
午後自宅へ外出する。
久々の母親のご飯がおいしい。
保険関係の整理、ネットで気になっていた本などを注文。
テレビでケープタウンの特集を見る。
ちょっと前のことなのにすごく懐かしい。
21時に病院に戻る。ぐったり。


◆9/24 ①13日目◆
彼がお見舞いに来てくれた。(2時間ぐらい)
彼が帰った後、結婚を3ヵ月後に控えた友達Cちゃんがお見舞いに来てくれた。
夜、叔母がアロマで足湯&マッサージをしてくれた。


黄色い花この日の日記より
彼は来るなり「疲れた~」みたいな感じでちょっと嫌だった。
忙しいのは分かるし、無理に来てもらっているっていうのも分かるけど。
院内のレストランで彼は食事、私はプリンとジュース。
彼の仕事の話などを普通に話す。
彼から仕事の話を聞くと、頑張ろうっていう気がする。
でも、相変わらず病気のことを聞きたがらないのは寂しい。
心配をしてくれているのは来たときの接し方で感じるけど、励ます言葉の一言もなかったのがとても悲しい。
Cちゃんが東京から電車で来てくれた。
相変わらずな感じで楽しかったよ。
Cちゃんの結婚式には出席したいけど、どうかなぁ。
何も言わなかったけど、左手の薬指のリングがうらやましかった。
私にはないものだし、これからもどうなるか分からないものだから・・・。
夜、両肩の痛みがひどくて注射。全く眠れない。つらいー。


◆9/25 ①14日目◆
最悪な1日。
気持ち悪くて身の置き所がなく精神的にもつらい。
従姉妹がお見舞いに来てくれたときはちょっと気が紛れたけど、兄が来てくれたときの兄の何ともいえない「哀れみの目線」が嫌で嫌でたまらなかった。

寝ているときに、足元に立って見下ろされるのって嫌ですよね。。。


◆9/26 ①15日目◆
MRI検査
体が思うように動かないので検査がしにくかった。
有名な「工事音」のような音よりも、体が伸ばせなかったのが大変!
体をまっすぐにすると肩の痛みがひどくなるけど、まっすぐに伸ばさないと検査ができない。
はっきりとは覚えていないけど、ぐったりした覚えがあります。

美容院に行って、術後の化学療法に向けて少しだけ髪を切る。(←今思うと中途半端な切り方だった・・・。)


黄色い花この日の日記より
今日も朝から最悪の1日。
ただでさえ気持ち悪い、おなかが張る、胸の管が痛い、肩が痛い・・・のに、急に卵巣と子宮を取ってしまうことが辛く感じて。
納得したはずだったのに、つい主治医に「どうしても取る必要があるのですか?」と聞いてしまった。
何も悪いことはしてないし、特別裕福な生活を望んでいるわけじゃない。
「子供がいないからこそのいい人生」があると言っても、私が以前から望んでいたのは結婚して子供のいる「普通の家庭生活」だったから。
結婚してから子供が出来ないと分かったのとは違って(それはそれでとても辛いことだと思うけど)、結婚もしていないのに初めから夢を断たれたような気がする。
手術して、辛い治療を乗り越えれば、後は気持ちと運で今後の人生を歩めばいいし、周りの人たちもそう言うけど、取ってしまった卵巣と子宮は戻らない。
周りをみても、子供がいなくても素敵な人生を送っている人はいっぱいいるし、そういう人たちを「かわいそう」だとは思わない。
実際、○○さんにしても××さんにしてもとても輝いて見える。
ただ、「私は」結婚して子供を産んで育て、家庭を作ることがしたかった。
でも、今日は妹が来てくれて本当に救われた。
お母さんには申し訳ないけど、妹と話しているとグチでも辛いことでも文句でもそのまま言える。
慰めてくれたりするわけじゃないけど、「話をする」ことができるのがいいのかも。
本当に姉妹はいい。妹を産んでくれたお母さんに感謝します。


なんだかくらーいこの日の日記。
この日以後、「心のメモ」はしばらく途切れています・・・。


◆9/27 ①16日目◆
手術前日。
IVP(静脈性腎盂造影)検査
麻酔科の先生より説明。家族(母親)と共に受ける。
通常の個室に移動。


あ、、、記録がほとんどない。
なぜか「いたーい」と一言書いてある。
どこが痛かったのかなぁ。
夜から下剤(たぶん2リットルぐらい?)を飲み始めるけど、おなかがパンパンになって飲みきれず、「飲めないんですー」と看護師さんに泣きついていた覚えがあります。
苦しくて不安で大変だった思いは覚えています。
セルシンを飲んでも眠れず。
「睡眠不足になっても手術中は寝ているから大丈夫ですよ。」と看護師さんに言われたなー


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というわけで、入院→手術まで16日間もありました。

自覚症状の緩和のために無理いって早めに入院させてもらったのは良かったけど、心が付いていかなかったようです。

また、知識もなく(病院の書店で1冊の本を買っただけだった)、不安ばかりで主治医にいろいろ聞きまくってメモしていました。

(そこまで書いたらきりがないので省略!)


次回は手術日!