★アクトポ 5クール3回目(day15)★


本日の成績です。
白血球 2800
好中球 1600


ギリギリですがトポテシンday15を無事投与してきました。
未だに慣れない点滴ルーム。
小さなパーテーション越しに隣のおじいちゃん、私のことジロジロ見すぎです。
寝ている姿をおじいちゃんとは言え男性に見られるのは嫌ですよっ(=`(∞)´= )←こんな顔文字がある。


それと朗報(!?)です。
モルヒネ服用をやめ、ロキソニンに変更しました。
7/22以来、おしりの痛み対策として少量のモルヒネを毎日8時間ごとに服用していたのですが(詳しくは
こちら )、最近飲み忘れても痛みがないときが多くなってきて。
気付いてみたら「頓服薬」として痛いときに飲む!ようになっていました。
だったら、ロキソニンでもいけるかも・・ということで様子をみていましたが大丈夫でした。
というわけで、しばらくは頓服でロキソニンです。


*****************************


私の病気記録は「発病のこと」で止まってます。
思い出したくなくて心の引き出しから出てこなかったっていうのもあります。
また、私個人的な気持ちとして(考え方は人それぞれですよね。)、入院中のことを書くことで「壮絶な闘病生活を過ごした」と思われたくないのです。
前にも書いたことがありますが、私は「壮絶」な「闘病生活」とは思いたくないのです。

ま、言葉の問題と言えばそうなのですが。

勝手なお願いで申し訳ありませんが、この点ご理解ください~☆


が、自分の記録とここへ辿り着いた方への参考になれば・・と急に回想したくなりました。
アクセス解析によると、こちらのブログへワード検索で辿り着いた方の検索ワード、「卵巣がん ブログ」だけでなく、意外と「卵巣がん ストマ」とか「○○ ストマ」が多いです。
私もブログを開設する前は、このワードで検索しまくっていました。
その割には手術の記録がないのもなんだなーと思って。


みなさんのブログを拝読していると、入院・手術の記録が素晴らしい(*^ー^)ノ!


私は1年経った「回想」なので、鮮明な記録とは言えませんが、メモ程度の日記とあやふやな記憶を辿りながら、事実と思ったことを淡々と始めます。
実際の毎日は書ききれませんが、検査の内容と気持ちを中心にと。


入院前に検査して時間を置いて入院、あるいは卵巣がんによくある「破裂して緊急入院・手術」(←これ、本当に大変ですよね。。)というパターンではなく、事前準備なし・入院時手術予定なし・自覚症状バリバリの入院だったので、ちょっと変わったパターンとしてこれはこれで参考になると嬉しいです。
また、退院後2日後に緊急入院・ストマ造設のために2度目の手術・・・この経験をきちんと書きたいのでがんばりますよー。


なお、入院に至るまでの「発病のこと」については、以下の記事をどうぞ。
(赤字をクリックすると記事にリンクしています。)
①発病のこと(自覚症状と病院たらいまわし編)
②発病のこと(大学病院編)
③発病のこと(主治医との出会い編)


③に書いたように、一日目は緊急外来病棟で過ごしました。
何日かここで様子をみる可能性もあるとのことでしたが、入院してしまえばこっちのもの?
翌日の午前中には婦人科病棟が空いたということで婦人科病棟へ移動となりました。


時は2005年の秋のことです。

それではスタート!


◆2005年 9/12 ①1日目◆
緊急外来病棟へ入院。
肩の痛みがひどいため、とっても痛い筋肉注射、痛み止めの注射(ペンタジン)を2度打つ。
横になると肩が引きちぎられるような痛みが8月下旬からあったのです。
これは、「放散痛」と呼ばれるもので、病巣と関係なく痛みが出ることがあるとのこと。
あるいは、胸水による神経の圧迫で痛みが出ている可能性もあるとのこと。
いずれにしても、病巣の問題がclearになれば、この痛みも和らぐと言われ、当時は腑に落ちなかったのですが、実際手術をしたら肩の痛みはなくなったのでした。
この肩の痛みは、睡眠がとれないほどの痛みだったので(体を横にするとひどい痛みになる)、手術の日まで毎日ペンタジンの注射、それとペンタジンが使えない時間帯にはボルタレンの経口薬と座薬にお世話になったのでした。
このおかげで、少しは睡眠はとれるようになりました。
(4時間ぐらいで痛くて起きちゃったけどね。)


◆9/13 ①2日目◆
婦人科病棟(大部屋)へ移動。
担当看護師さんから入院の説明。
お昼前に妹と母親が来てくれて、身の回りのものを持って来てくれた。
③の記事にも書きましたが、前日は「パジャマ」しかなかったので。
妹の準備のよさに感謝。
そして妹と母親がランチに行っている間に主治医が病室に登場。
「胸腔穿刺」の処置。
当初は腹水の方を抜く予定だったのですが、「いい場所」がなかったのと腹水よりも胸水の方が苦しさの原因とも考えられるとのことで、急遽胸水を抜く処置になりました。

「胸腔穿刺」とは、簡単に言うと「胸の横から胸膜まで針を刺すこと」です。
簡単に言いすぎました。。


・・・・・・・・。


今調べました。
コチラ に分かりやすい図がありました。(内容は生検のことだけど。)

↑この書き方、すみちゃん の書き方をまねてみました♪


一般的には、「胸腔内に貯留した胸水や気体が貯留している場合に①貯留物の鑑別診断 ②貯留物の除去による心肺圧迫を改善 ③治療薬液の注入を目的として行われる」とのこと。
私の場合は②貯留物の除去による心肺圧迫を改善 です。

もちろんここから、①貯留物の鑑別診断も行いました。

胸の横から胸膜へドレーンを留置して、一定時間ごとにドレーンから胸水を排出。

今でもこのドレーン跡は残っています。
一度に多量の胸水を排液すると、急激な胸腔内圧の低下によるショック状態や肺水腫を引き起こす場合があるとのこと。
今考えると怖い。

このドレーンから退院まで毎日胸水を抜く処置をしていましたが、約0.5リットル~1リットルを4時間ほどかけてゆっくり抜きます。
手術までは、いくら抜いても溜まってしまっていたのです・・・。


また、この日の「胸腔穿刺」の処置自体がとんでもない痛みだった!!!!!!
エコーをかけながらぶすっと刺してもらったのですが、痛くて動けない。
これって、なかなか難しい処置だそうですが、病室での処置です。(カーテンはもちろん閉めていたけど。)
夜までベッドに横になることもできずに、椅子に座っていたのでした。
この後、約1ヵ月後の退院まで、移動はほとんど車椅子になります。

ランチから戻ってきた母親は、動けない私を見てびっくり。
妹はクールに
「そりゃ、痛いよ。でもその処置してくれるぐらいだから、あの先生若く見えるけどなかなかなんじゃない? 自信がないと出来ない処置だよ。」と。
でも痛い・・・。


※その後、胸腔穿刺を行った他の患者さんの話を聞くと、そこまで痛くはなかったと。

個人差があるようですね。

これから行う方、あまり怖がらないで下さい・・・(;^_^A


夕方、前にもブログに書いた名物助教授が回診。(そのときの記事はコチラ
おやじギャグ連発、主治医をネタに話しまくる。
このとき、この先生が助教授だとは知らなかった~。
その後、これまたブログに書いた、執刀医になる素敵な病棟医長も登場。
痛みで顔を上げることが出来なかったので声しか聞いていなかったのですが、妹が「ねー、すごく素敵な先生だよ。」とチェック。
妹が書いてくれたこの日の日記には、病棟医長の顔が描いてある・・・Σ(~∀~||;)


◆9/14 ①3日目◆
前日からだったのですが、いきなり「婆害」(by
ねこたさん )にあってしまいました。


 何の病気なの?

 若いのにかわいそうね。
 子供も産めなくなっちゃうの。
 かわいそうね。
 私の子供はね。孫はね・・・。
 今の若い人は仕事ばっかりして体冷やすから婦人科の病気にかかるのよ。
 結婚していないの?
 それなのにこんな病気になっちゃって、まぁどうするの?
 子供も産めないし結婚も出来ないね。
 どうするの?


どうするって言われても。

笑って適当に話を合わせるしかありませんでした。


そして一日中同室のおばあさん同士がが大声で話しています。
それと前日の胸腔穿刺の痛み。
話を聞きたくなくてカーテンを閉めていたら、若い看護師さんに「カーテンは開けといてください」と言われてしまい・・・。
入院3日目、号泣。
今思うと、告知後すぐの入院は、精神的にはつらいですね。
主治医付きの研修医つっちー(お笑い芸人の土田晃之に似ているため妹と任命。)に癒されました。
「僕、時間はたっぷりありますから、話して楽になるなら話してください。」と。
看護師さんより先に研修医の先生に心のケアをしてもらうとは。


この夜、23時ごろ痛くて悲しくてナースコールを押し、看護師さんに公衆電話まで車椅子で送ってもらい彼に電話。

会社でお仕事真っ最中でした。

なのにダラダラと話してしまった。


処置だけで痛くてつらい、こんな私、手術を乗り越えられるか不安だ。自信がない。

そんなことを中心に泣きながら話した覚えがあります。

でも、彼は相槌のみ。

考えてみたら当たり前。職場なんだもん。

ただ一言、「始まったばかりだよ。もうちょっとがんばんなよ。」と。


これ以来、彼が携帯電話に出ることはほとんどなくなったのでした。

当時はひどい!と思っていたのですが、受け止めずことができず、とっても重荷になっていたんですよね。。


◆9/15 ①4日目◆
個室を希望したのですが全く空きがないとのこと。

が、看護師長さんの計らいで、空いている術後の回復室に移動することに。
「個室」扱いにはならないので差額ベッド代なし。
ただ、通常の個室や大部屋のように部屋にトイレはないから病棟のトイレを使う。
今の所しばらく手術件数が落ち着いているから使えるけど、万が一緊急手術などで必要になった場合には大部屋に戻ることが条件。
それでもいいですっ。
この状況は耐えられません・・・。

感謝・感謝です☆


◆9/16 ①5日目◆
胸腔穿刺の痛みはずいぶんと落ち着く。
この日、生涯最後の生理が来た。
日記には、「これで最後の生理にならなければいいな・・・」と書いてある。
複雑な気持ち。


◆9/17 ①6日目◆
会社、数名の友達に報告メールを携帯で送りまくる。
夜、妹の夫に洗髪してもらう。
なんと看護師・妹の夫も違う病院の看護師だったりします。


◆9/18 ①7日目◆
この日は休日。彼がお見舞いに来てくれた。
病気のことはほとんど話さず、とりとめない普通の話をたくさんした。
それでも彼が遠方から(車で2時間ほどかかります・・・。)来てくれたことで心はリフレッシュ。
この日、とても嬉しかったし気持ちが明るくなった。
いっぱい笑いました。

普通の顔して車椅子を押してくれたりくれていたけど、後日聞いたところによると、この日の私の姿(車椅子&ドレーン一つ)を見ただけで彼はかなりのショックを受けたらしい。


そしてこの日は母親の誕生日。
病室からi-modeでお花を手配し、家に送ってもらった。
便利な世の中だ!


その日の日記より。
自分の娘がこんなことになって一番ショックなのはお母さんなのに、どうもお母さんには当たってしまう。
これから一番面倒を見てもらうことになるのかもしれないのに。
独り身の私、両親のおかげで安心して治療が出来るのだから感謝しなくてはいけないのはよく分かっているし感謝している。
なんで、その気持ちが直接伝えられないのかな。


◆9/19 ①8日目◆
友達Aちゃんがお見舞いに来てくれた。

私が入院する病院、Aちゃんの実家の近くだったのです。
来てくれたことは嬉しかったけど、このときはまだAちゃんの「頑張れ攻撃」に笑顔で「頑張るよ」って言っていました。

お見舞いの品:高級メロン←確かにお見舞いの定番かもしれないけど、保管場所がなく家族に自宅に持っていってもらいました。。

自宅で食べごろまで保管してもらって、持ってきてもらって数日後に食べました。

とんでもなくおいしかった~♪


翌日の大腸内視鏡検査のため、大量の液体下剤(ラキソベロン)を飲み始める。
何度も目が覚め眠れなかった。


◆9/20 ①9日目◆
大腸内視鏡検査
つっちーが「検査の様子、見学させてください。」と。
もちろんOKしましたが、、、
大騒ぎです。゚(T^T)゚。
何てことない方はすんなり終わるそうですが、私、大騒ぎで大泣きでした。
しまいには4人ぐらいの先生に腰を押さえつけられることで痛みに耐えられました。
検査を行ってくれたDr.の話によると、私の横行結腸から下行結腸に繋がるカーブが変わったカーブになっているとのこと。
病気とは関係なく、10人に1人ぐらいの割合でこういう人がいるそうです。
その変わったカーブを内視鏡が通るときに激痛が走ったそうで。
後日、母親も大腸内視鏡検査を行ったときに同じことを言われたことが判明。


夕方、友達Bちゃんが来てくれた。
子連れでしたが、そんなに気にならなかったのは、Bちゃんが自分の話は全くしなかったっていうのもあります。
お見舞いの品:アロマグッズ!←すぐに活躍です☆


この日の朝、主治医とじっくり話しました。


・ 手術は急に枠がとれたので、一応9/28を押さえてくれたとのこと。


・ 明日の夕方以降か明後日、ご家族を含めて手術と今後の治療について説明したいので、ご家族と相談してください。


・ 胸水の検査結果はがん性(+)とのこと。ただ、他の臓器の転移がなければそれほど心配しなくていいです・・と。
※ショックだけど、この話を妹にメールしたら「そんな大切なこと家族より先に患者本人にきちんと話をしてくれるなんて、信頼できるね。」と言われた。

ただ、胸水ががん性のものと判明したため「悪性胸水貯留」により遠隔転移として私のステージはⅣとなったのでした。

(←これが今治療が長引いている原因の一つ。)
心配しなくていい、という言葉は私を落ち着かせるためだったのかもしれません。
ステージのことも、この時点では主治医の口からは聞きませんでした。
というより、私も調べる時間がなかったため無知だったのもあります。


・ 片側卵巣のみ摘出か、両側卵巣+子宮全摘出になるか?
現時点では未定。大腸内視鏡検査の結果と実際の開腹で決まる場合がある。明日以降の説明までにカンファレンスで決定します。
※今考えると、卵巣がんは1c期以降は全摘が標準なんですよね。
「早期だから全摘しなくてすむかも」じゃなくて、「ステージが進んでいるから全摘が出来ないかも」ということだったのかと考えられます。
実際、家族は開腹して場合によっては卵巣のみ採って閉じる可能性もある、と手術時に言われたそうです。


・ 手術までの期間が長いことが気になるが?
→事前準備は必要。それでもこの時期に手術室を押さえられたのは異例の速さですよ。それと卵巣がんの手術になると外科(消化器系)の先生もスタンバイしてもらうことになるので(私はかなりの確率でその可能性がありました。)、調整のために時間がかかってしまう。ただ、手術室は押さえたので、これから調整にあたります。


・気持ちがついていかない、つらい、と話した。
→「普通の人だったら、いきなり”がんだ”と言われたら誰だって辛くなりますよ。」と。
※文章にすると冷たい感じですが、とても暖かい言葉に感じられる言い方でした。


なんだかぐったりの一日。
でもこの日、セルシン(睡眠導入剤として現在も服用)を22時に飲んで、翌日5時まで一度も目が覚めませんでした。
7時間ぐっすり睡眠は、なんとおよそ1か月ぶり。
感動!と日記に書いてあります。


*****************************


まとめて書くと大変です~。
以上、手術までの日々前半でした。


次回につづく!