すみちゃんの記事 を読んで。

私も同じようなやりとりがあって、同じような気持ちになりました。
同じような、と言ってもそれはほんの「一部」であり、すみちゃんが読んだら「それ、ちょっと違うわよっ」て言われちゃうかもしれないけど。

グチっぽいブログです、今回は特に。

さらっと流してくださいな。


でも、私もある友達とのやりとりを思い出しました。
思い出したというか、ずっと心にひっかかっていることだったのです。


ちょっと前にAちゃんからメールが来ました。


>ご無沙汰してしまってごめんね。
>体調や気分はどうかな?
>私の方は、なんだか仕事も私生活もずっと走り続けている感じで、正直、少し疲れ気味。
>ここ最近、仕事では××さんに振り回されているよ。
>また、近況報告待っているよ~。


うーむ。
体調や気分?
このとき、抗癌剤の副作用も少なくて「体調」はいいけど、体にはまだがんの塊が残っている。
気分って、がん患者はそのときによって大きく変わるものですよね。。

私はのんびり生活。
「仕事も私生活もずっと走り続けている感じ」・・・うらやましいっす。
自慢なのか? (←かなり後ろ向きな私)

なんとも返事のしようのないメール、放置してしまいました。
返事が出来ないんです。


もちろん、Aちゃんは悪気があるわけではなく、自慢するわけでもなく、最近連絡をしていなかった私が気になって、勇気をもってメールしてくれたのだと思います。
ただ、その前にAちゃんからは、「違和感のあるメール」をもらっていて、返事が出来ずにいたのです。
すみちゃんと同じ、「悪気のないAちゃんのメールに勝手に傷ついただけ」で、彼女にはその気持ちは知らせていませんでした。


Aちゃんは、10年来の友達でした。
お互いに趣味とか仕事とか共通する考えが多く、お互い結婚願望も強いばかりでなかなか結婚には結びつかず、それでも楽しい毎日を過ごしていました。


私の病気の診断があったときも、報告しました。
そのときから、「違和感」を感じていました。


>れひちゃん、病気なんかに負けずに前を見て頑張って!
>失うものはあるかもしれないけど、得るものもたくさんあると思います。
>特に、みんなの愛情を!
>本当に負けちゃだめだよ!


すみちゃんと思ったとこと同じです。
診断があったときって、体調が悪い上に精神的につらくて受け入れることもできなくて。
当初は、こんなにステージが進んでいるとは思っていなかったので、まず「赤ちゃんを産めなくなること」自体がつらくてたまりませんでした。

(今は不妊よりも命の方がずーっとずーっと気になりますが。)


主治医にも気持ちがついていかない、つらい、って言ったら
「誰だって、がんだって言われたときは普通の精神状態にはなれませんよ。」
と、おそらく私を気遣って話してくれました。


そんなときに「失うものはあるかもしれないけど、得るものはたくさんあると思います。」

と言われちゃった。

得るものなんかいらないから、失いたくない!


そう思いました。


もうすぐ1年、の今では随分得るものはあったと思いますが、それを得るために病気になったとは今でも思えません。
それより、診断直後の自分には何で?何で?だったので、「得るもの」を考える余裕なんてなかったのです。


負けちゃだめ?
当初は、つらくてつらくて泣いてばかりでした。
痛みがつらくて。
何で病気になったのか?と自分を責めるのがつらくて。
子供を産めなくなったのがつらくて。
泣いてばかりの私は、「病気に負けている」のか?


そのときは、それでも「励ましのメール」をもらったこと自体が嬉しかったりしたので、そこまで伝えることは出来ずに「頑張るねっ」と返事。
そして、退院後も「心配かけちゃいけないな」って調子のいいときの話や、ちょっと太って元気に見える写真を送ったりしていました。


が、退院して2ヵ月後のある日1通のメールが。


>最近、体調もよさそうなので報告します。
>2ヶ月後に結婚することになりました。
>そして、8か月後には赤ちゃんが産まれます。
>式には、れひちゃんにもぜひ出席して欲しいのでお返事待っています。
>れひちゃんには何でも話したいので、これからのことも報告しますね。


ええっ!?
それは、おめでたいことだけど、何でこの状態の私に言うの~??
どんな病気か話したよね?
分かってもらうために、病気の説明のHPのコピー渡したよね?
化学療法中で髪の毛もないって分かっているよね?
知人にはほんの一部の方にしか話していないのに、共通の知人が集まる式に私を呼んでくれて、私はどう説明したらいいの?
赤ちゃんを産めないことも知っているよね?
何でも話したいって、何を話すの? 自慢話? ←このあたりでイヤ~な私が出現。


と、このメールをもらった夜、再び夜泣きが始まった。
もしかしらたら、Aちゃんと私、入れ替わっていたら私がAちゃんの幸せいっぱいの状態だったのかもしれない。
でも、結婚も子供もない私は×2つ、Aちゃんは◎が2つ・・・。


メールのお返事は出来ませんでした。
だって、何をどう書いていいのか分からないんだもん。
自分の気持ちを抑えて、
「おめでとう、よかったね。でも、式には体調がどうなるか分からないし迷惑かけちゃうから出席できないけど、後で写真送ってね。」
と送ればよかったのかもしれません。
でも、そんな余裕、退院2ヵ月後の私にはありませんでした。


そして約1ヶ月後。
Aちゃんからメールが来ました。


>残念な報告です。
>○週目に入るはずの赤ちゃんの成長が見られず、心臓の音が確認できないので、今回は残念な結果を受け入れました。

>原因は染色体の異常とかもあるかもしれないが、生む決心をするまでに時間がかかったから赤ちゃんに伝わってしまったのかと思い、自分を責めていました。

>挙式は予定通り行う予定なので、お返事待っています。
>いずれ分かることなので、れひちゃんには全てを報告しますね。


ええ~っ!?
それは大変。おまけにAちゃんも自分を責めている・・・。
全てを報告してくれなくてもいいけど(聞きたくないから)、ここは「運命論」で自分を責めちゃだめ!って言わないと!
とそのような返事を書きました。
精一杯誠意をこめて、長文になってしまいましたが、今まで連絡をしなかったことも詫びて。


そのお返事。
一発目からパンチのある言葉。


>お返事ありがとう!
>正直、今回の赤ちゃんの件は、欲しくて作ったわけじゃなくて、できちゃった・・・という感じだったので、分かった時には素直に喜べなかったの。。


へっ!?
そうだったの?


>それでもさんざん悩んで産む決心をした矢先だったので、この診断を受けたときは涙が止まらなかった。
>あの時の感情が赤ちゃんに伝わって今回のようなことになったと自分を責めていた。
>でも、次の生理がくればこの件はリセットされる。
>けど、原因は徹底的に調べなければならない。
>ここで無理をしたらもっと大変なことになる。


このようなことがたくさん書いてありました。

うーむ。
彼との関係や赤ちゃんのことは本人同士の問題だけど、それを今の私に報告するの?
私は生理はないんだよ。
子宮も卵巣も取っても、私の病気はリセットされないんだよ。
もっと大変なことって何? 私みたいなこと?
もうイヤっ!


で、最後の締めは、


>正直、妊娠のことについては、れひちゃんに報告することは少しためらいました。
>でも、隠していてもいつかは分かることだし・・・と思ってメールしたのに、逆にいろいろと考えさせてしまってごめんね。


「少し」ためらっていたんだ。
どうせだったら、隠していて私が落ち着いたら話して欲しかったな。
私も上に書いたように「心配かけちゃいけないな」って調子のいいときの話や、元気に見える写真を送ったりで、本当の気持ちをAちゃんに言っていなかったから分かってもらえなかったのかもしれない。
あ、でも会って話したときには伝えたと思うんだけどな。。


そして、この返事に対する返事も出来ず、その後の連絡もしませんでした。
だって、結婚を控えたAちゃんからの「近況報告」なんて聞ける余裕はありませんでしたの。。
ホント私って器の小さな人間だなーって、これはこれで悩んでいました。


そんなとき、Aちゃんとは面識のないお友達Bちゃん(子育て真っ最中)にそんな気持ちを話したら、


別に連絡しなくていいんじゃないの?
Aちゃんは自分のことで精一杯で、れひちゃんのことは見えていないんだよ。
きっと、また同じようなメール来るよ・・。
自分に余裕が出てきたら、自然に話せるようになるし、それが出来ないようだったらそれまでの友達だったのかもね。
残念だけど。
でも、Aちゃんの辛い気持ちも分かるけど、別にれひちゃんに言わなくてもいいのにね。
他の健康な友達に話し聞いてもらえばいいのにね。


と言われました。
なんだかスッキリ。

で、特に連絡することもなく(それでも心にひっかかりながら)過ごしていたら、最初に書いたようなメールが来たのです。
今読んでみると「普通のメール」なんだけど、こんな過程があっただけに、自分で勝手に傷ついて落ち込んでしまったのです。。

やっぱり、気持ちを分かってもらうことは難しい。
でも、気持ちを分かってもらおうと全てを話すと、相手にも負担になるだろうし心配をかけてしまう。
だからこそ、元気な自分を見せたりしているんだけど、それが逆効果だったのかもしれないな。


Aちゃんが最初に言った「得るもの」の一つは「相手の気持ちや状況を考えて接すること」であり、それはなんとそのAちゃんの対応からおしえてもらったものであったりします。


でも、「病気に負けちゃだめ」って、これはやっぱり今でも理解できません。

yue少納言さんの記事 にもありました。
「病気とは壮絶に闘いたくない」のです。
私の病気に関しては逃げていて、まだ受け入れてくれない彼でさえ言います。
「病気に勝ち負けはないよね。」


がんで亡くなる人が「負けた人」とは全く思えないし、病気にならない健康な人が「勝っている人」とも思わない。


病気に負けない、病気と闘う。
今回のネット署名のように「未承認薬の早期承認を願うために国と闘う。」ことや、治療方法を探して多くの意見を聞きに行く、自分で勉強する。
これは納得できます。
でも、病気そのものとの闘いや勝ち負け、やっぱり私には理解できません。
「乗り越えたい」けど「闘いたい」ではないのです。
でも、署名活動や治療方法を求めることは「闘う」のかもしれません。
なんだかよく分からなくなってきた(;^_^A


自分でそう思って自分を励ますのはいいのです。きっと。
それで乗り越えられる方もいるのだから。
でも、人には言われたくないんですよね。。。


それでも、子育て真っ最中のBちゃんは、私が嫌に思うこと何も言わないんですよ。

診断後の報告のときも


>びっくりだよ、ショックだよ。
>そうかそうか、つらいよね。会いに行って顔みてお話したいです。


その後も


>涙が出てきてしまうよね。
>すごく不安だよね。
>怖さと不安を少しでも引き受けてあげたいよ。
>でも、誰も代わってあげられないもんなんだよね・・・。
>簡単に乗り越えることなんてできるはずもないけど、この山と運命を引き受けなさいってれひちゃんの元に訪れちゃったのかなぁ。
>なんでだろうね。。


こんなメールでした。
子育てが大変なのは分かっているけど、一切その話はしません。
その人柄によるのか、自分のとの関係によるのか。

私にしてみれば、病気になる前からAちゃんもBちゃんも、同じぐらい大切なお友達なのです。

自分がもっと落ち着いて余裕がでてくれば、Aちゃんとも笑って話せるようになるのかな。


話がそれましたが、すみちゃんの記事をみて思ったのは、みんな同じことで悩んでいるんだなーってこと。
患者さん側も同じ、友達側も同じ。
この「違和感」はなかなか結論が出ないようです。


だったら、「時間」にまかせて放置プレイですっ(^▽^;)


「プレイ」は余計かっ!? ひわいーだね。


何で、毎日更新できずに、書くといつも長文なんだろー私って(汗)。