発病のことの続きです。
前回の
「発病のこと」 から、ブランク空きすぎ。(;^_^A・・


初診から5日後の2005年9月12日、病院に行きました。

母親と叔母に付き添ってもらいました。
待っているうちに、当日日勤だった看護師の妹(同じ病院の別の科に勤務しています。)が制服のまま来てくれました。
妹は、自分の病棟の看護師長さんに、経緯をちょっと話して抜け出させていただいたようです。


15時からの予約、2時間ほど待ちました。。
体調も悪かったので、ホント辛かった。

で、やっと呼ばれて診察室に入りました。


眉毛の濃い先生だなーって思ったのが第一印象。
思ったより若い。
でも、カルテには「○○科の××の実姉。上席Drでお願いします。」と書いてある。
何かが変わるわけじゃないけど、なんとなく安心。
若手なのか、上席なのか??

でも、感じはいいぞー。
(この先生が、現在の主治医です。)


またここで、先生に内診をしてもらい、前回の検査結果を含めて説明を受けました。

そのときの気持ちとか言われたこととか、はっきり覚えていないんです・・・。


「すっごくしっかりと話を聞いて、いろいろ質問していたよ。」と今となっては言われるのですが。
まだ9か月ぐらいしか経っていないのに。
みなさんのブログを拝見していると、細かく覚えていらっしゃいますよね。
日記とかメモとか、しっかりつけていらっしゃったのかな??


映像では思い出せるんです。
診察室には、先生と私と母親、叔母、妹の5人。

先生も、図を書いたり、画像を指して説明されていたような。。

妹がメモしてくれていましたものが、後々自分を知る上で役に立ちました。
感謝。


以下、妹のメモの抜粋です。


◆腫瘍マーカー
CA125(2073)とCA72-4(58)がH
CEAとCA19-9は正常


◆細胞診
子宮頸がん・子宮体がん 癌細胞(+) class Ⅴ
→恐らく卵巣から癌組織が子宮内へこぼれてきている。
 子宮自体のCAではなさそう。
 子宮体がん否定のためCA542提出。


◆CT
CT上は腎・肝 np
ただし胸水・腹水あり。
腹水は前医で検査にまわしてもらった結果CA(+)


◆エコー
ダグラス窩に5.5cm大のtumor(+)


◆その他
他の臓器への転移は?

 →今のところ明らかにはない。
腹水(+)

 →腹膜播種の可能性が高い。
   腹の表面にくっつくもの。
   ざらざら、ぼこほことしてくるとCTに見えてくるはずだが、今は(-)
リンパの腫れ(-)
今の段階では、CAのどの辺りのものであるかは不明。
opeは必要。ケモしてからopeかも。
どういう方針にするかは他ののDrと決定する。

So)卵巣CA
卵巣→卵管→消化管へといくこともある。
原発は卵巣と思われるが、右か左かは不明。


なんだか、こうやってメモを見てみるとスゴイなぁ。
(自分の症状も妹のメモも。)


で、先に書いたようにはっきりと覚えていないのですが、これだけは覚えている。


「あなたは癌です。」


というようなことは言われていません。

ドラマや小説のような「告知」っていうのは、ないんですよね。

「説明」って感じです。


卵巣の腫瘍だが、開腹して病理に出さないと100%悪性とは言えない。
悪性だったとしても、今の時点では原発が卵巣だとは確定できない。
でも「悪性の可能性が高い」・・そんな感じで言われていたと思います。


そして、「いつ入院・手術できそうですか?」と聞いたところ、
「悪性の患者さんでも1、2ヶ月待ってもらっている状態で、そこのこところは理解していただきたい・・。」

というようなことを言われてしまいました。


そう言われることは覚悟していました。
で、対策を練っていました。
妹の病棟の看護師長さんの話だと、最近の婦人科はいっぱいとのこと。
できるだけ、本当につらいことを訴えるように、と。


「肩が痛くて眠れないんです。(マジで。)
もう2週間ぐらい熟睡できずに座って休んでいるだけなんです。(本当。)
それに、おなかも張って苦しくて、モノも食べられません。(これも本当。)
このまま2ヶ月も過ごしていたら、手術を受ける体力、なくなってしまうんじゃないんですか??」


そうすると「うーん、自覚症状でそれだけ辛いですか。。ちょっと待っててください。」

と、何やら奥で電話などで相談している様子。


「とりあえず、婦人科のベッドはいっぱいですが、緊急外来のベッドに空きがあるので、そこで痛み止めを打ちながら様子をみましょう。
婦人科の都合がつき次第、移動していただくってことでご理解願いますか?」

ということで、その日のうちに入院決定となったのでした。


家族は、一刻も早く入院すれば、早めに治療が始められる、ってことで安心したようでした。


でも、私・・。
入院すると決まったら、さっきまで冷静に話を聞いていた(らしい)のですが、急に感情的になってしまって。


「今日、入院するって分かっていたら、自分でいろいろ用意したいものがあったのに!」


と、ワケの分からないことで、待合室で大泣きした覚えがあります。


きっと、自分はがん患者決定なんだ、どうしようもないんだ、っていう思いがこのとき大爆発したんだな、きっと。
思い出してきたー。


母親は、
「ちゃんとこういうことを考えてパジャマだけは持ってきたんだから、気にしなくていいんだよ。」
と言ってくれたのですが、何かが違う。


だったら、何で私にそう言って用意させるように言わなかったのか。
私も、早く入院して落ち着きたい、肩の痛みを何とかして欲しい、とは思っていたのですがまさか当日入院になるとは思っていなかったのです。


そのときに、妹に
「お姉ちゃんは、自分のものは自分で用意して、きちんと入院に備えたかったんだよね。
いきなり入院するって決まって、気持ちがついていかなくなっちゃったんだよね。」

と。


お母さん、ごめんなさい。
この頃から、妹は何で私の気持ちが分かるんだろう・・という不思議な現象が起こったのでありました。

妹に対するストーカー行為の始まり!?


緊急外来のベッドに案内されたときにはもう夜。
一晩だけでも入院するには、パジャマだけじゃ足りないのです・・・お母様。
一度家に帰った妹夫婦(結婚して当時まだ4ヶ月だったんだよなー)が、いろいろ用意して持ってきてくれました。


その間、緊急外来の外のスペースに行きました。
彼に携帯電話で報告。
あーーー、これも何言ったのか覚えていない。
彼はまだ仕事中だったこと、彼は私に質問することなく話を淡々と聞いてくれていたことだけ覚えています。
泣いていたかどうかも定かではありません。。


その日は痛み止めの注射と安定剤、それと電動式ベッド(体を起こすと痛みが和らいでいたので。)で、久しぶりに少しは眠れた感じでした。

そして翌日の朝、婦人科の方のベッドが空いたと早速連絡がありました。


(いつか分からないけど、つづく。)


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今日のお写真コーナー。

アフリカシリーズその9。

フッフッフ・・・の真相は、ヘリコプター初体験inザンビア!

ヴィクトリアフォールズは、ジンバブエとザンビアの国境にあるのですが、

行ったことのある会社の先輩から「絶対ヘリコプターは乗るべき!」とのアドバイス。

ザンビア側のヘリポートから乗って、上から滝を眺めました。

彼はアフリカは2度目だったのですが、ヘリコプターは乗らなかったとのこと。

二人で大興奮でした~。

滝にかかる虹が、動いていくんですよ。。

感動して目がうるんでしましました。ホントに。

写真だと一部しか写せませんが、ザンベジ川から滝に流れていって、そこからまた渓谷があって・・という一つのつながりに感動しました。