夕方、電話が掛かって来た。前の家の人から。父の具合が悪くなったので、大至急戻って欲しいと。その時、私は救急車の手配はと聞いたのかな……。母が詳しいことは言わないでと頼んだらしい。当時は元旦那の仕事を手伝っていた。車で家の前に差し掛かると、門の中に警察官が立っていた。そこでただならぬことが起こったと察した。玄関に入った瞬間、母が「お父さんが死んじゃった」と言って、泣いていたのかな。その辺りは、よく覚えていない。

 

二階の自分の部屋で、タオルと言うか手拭いでの縊死。実は三度目だった。最初は睡眠剤、次は公園の木の幹で胸にナイフを刺した。眠剤は少量で、ナイフは転んでとか言って、治療に行った位。二度目の騒動の午後には心療内科の初診が入っており、そこには行った。その先生がいい人だったようで、それからは安定していた。元々、足が痺れると言って、脳梗塞かと。当時74で、約3年の闘病生活(入院はない)。色々と調べて、病院もいくつも行ったけど、正式な病名も出ず、とにかく座骨が痛いと、ずっと言っていた。途中から、老人性欝を発症し、亡くなる一年弱前位は雨戸も開けずに暗い部屋で寝ていた。新聞もテレビも見ない。食事も酷い時は部屋まで運んでいた。元々病気知らずと言うか、元気なタイプだったので、調子が悪くなって、すっかり落ち込んでしまったようで。

 

歩けないと言うから、病院には乗せて行った。それを別に苦にもしてなかったけど、母はしなくていい的な感じのことも言っていた。足が痺れての原因は近くの公園で運動をしたからと分かってからは、自業自得みたいな言い方もよくしていた。元々あまり仲の良くない夫婦。確かに父は我儘で、言いたい放題で、一緒に商売をしていたから、相当の不満があったみたい。

 

その日も前日に新年初の心療内科に行ったばかりだった。で、いつも薬は母が翌日、自分の整形外科の帰りに貰ってくることになっており、父が亡くなったのは母が病院に行っている間だった。薬を渡しに行き、異変に気付いて、前の家に駆け込んだ。よく階段を転げ落ちなかったと思う。高齢だし、神経質な所があるので、どうなることかと思ったけれど、意外と言っては何だけど、元気は元気。一応デイには行っているけど、その中ではかなり元気らしく、家事も出来るし、とりあえず頭もしっかりしている。いまだに父の悪口を言っているからね。言わなくなったら、まずいかもとは思っている。まぁ、母も母で難しい人。だから、あまりブログにも書かないでしょう。

 

二階には三部屋あって、真ん中は使ってなかった。その夜、母に下で寝るかと聞かれたけど、私は二階で寝た。母に睡眠導入剤と安定剤を渡されて、頼まれて母の為に、救心を買いに行った。警官が何人も出入りして、私が帰る前には消防車と救急車がずらりと並んでいたそうで。その光景を見なかったことだけは救い。ただ、未だに救急車のサイレンは駄目。部屋の中のことは警官が殆どしてくれた。着替えさせてもくれたし、部屋も殆ど汚れていなかった。

 

父はお酒が好きで、よく飲み歩いていたので、先に亡くなった飲み仲間の所に行ったんだと、苦しみ痛みから、解放されて、楽になったんだって、自分に何度も何度も言い聞かせていた。自殺は隠した。年齢的にも部屋で亡くなっていたは不自然ではなかったので。

 

刑事からの事情聴取も、検死もあった。記憶にあることも、ないこともある。後に遺書も見つかった。日付もきちんと書いてあった。過干渉ではなく、自由にさせてもらってきたのかな。彼と娘の関係を目の当たりにしている現在、父は全然煩くなかったと、思い知らされた。まぁ、娘の性格を分かっていたし、迷惑という迷惑も掛けてこなかった方だとは思うけど(実際は掛けていたのかも?)、孝行娘ではなかったかな。

 

母は家を汚されたと言うけど、私はそうは思っていない。なんか、何度か目頭が熱くなってきたので、この辺りにします。

 

 

今は昨日も書いたけど、感謝の思いで一杯かな。