<2017.7.16>

 

意味不明のタイトルです

 

異常な暑さが続いた北海道ですが、今日の札幌の予報は雨。

それを見越して畑にも水をやらなかったんですが、

朝5時の札幌の空は、雲は多いものの青空がところどころ覗いてます。

ホントに降るのかいな。

ということで、今日は青の1号関係はお休みです。

 

 

先月、学生時代のワンダーフォーゲル部の一つ上の先輩のアライさんが札幌にくるというので実に35年ぶりに会うことになり、その話を聞きつけて帯広に住んでる同期の大島も来ることになっていたんですが、まさかの入院騒ぎで僕だけキャンセルという情けないことになりました。

 

 

高校時代に怠惰な生活を送っていた僕は、その反動からか大学に入ると体育会のワンダーフォーゲル部に入部しました。

入部して最初に行ったのが5月の北アルプス。

葛温泉から入り、烏帽子岳-野口五郎岳-祖父岳-三俣蓮華-双六-槍ガ岳から槍沢の雪渓を下り河童橋に降りてくるという、通称「裏銀座」と呼ばれている3000m級の山々を縦走する初心者にとってはちょっとハードな山行です。

<双六岳から槍へ続く稜線~40年前のスクラップブックから>

 

メンバーは僕を含めた新人4名と、2年生2名、リーダーの4年生1名の計7人のパーティーでした。

その2年生のうちの一人がこのアライさんで、もう一人がアズマさんという先輩でした。

身長は185近くあったでしょうか。

横幅も大きくいわゆる巨漢タイプで顔も浅黒く赤鬼のような風貌をしていました。

高校時代には野球部に所属し、確か甲子園にも出たのではないかと記憶してます(40年前の話なので違ってたらすいません)。

 

アズマさんはその風貌には似合わず、他の先輩が怒鳴り散らしたりする中、寡黙でしかし時にユーモアたっぷりのジョークを関西弁でポツリとつぶやく男の真の優しさを感じさせるヒトでした。

部の同期や先輩までもがアズマさんには一目置いており、彼の同期の中には、

「オレはアズマのような男になるぞ」

と公言するヒトもいました。

 

アズマさんの趣味は「プロレス」でした。

いえ、やるわけではなく(やっても相当いけるはず)観る方ですが、アントニオ猪木のファンでした。

 

その猪木にとてつもないビッグマッチが舞い込みます。

1976年6月27日。

日本武道館で「世紀の一戦」と言われた稀代の大型イベントが開催されたのです。

 

「モハメド・アリ VS アントニオ猪木」

 

当時ボクシングのWBA&WBCヘビー級の統一チャンピオンだったモハメド・アリと、

日本を代表するプロレスラーのアントニオ猪木が「格闘技世界一」の称号を賭けて闘う文字通り「世紀の一戦」です。

当時、プロレスは既に卒業していたものの、「空手バカ一代」で格闘技にのめり込んでた僕は、

一体どんな結末になるのだろうか

と、この対戦を一日千秋の想いで待ち続けました。

 

ところが、試合時間が部のトレーニング時間と重なっていたのです。

そんなのサボればいいじゃん、と思うでしょ。

いやいや、当時週5日のトレーニングが課せられていたのですが、部の規律は厳しく1秒たりとも遅刻は許されないし、正当な理由がない限りは休むなどはとんでもないことだったのです。

遅刻やサボリに対しては厳しいトレーニングの直後に、さらに4kmの罰トレが待っていました。

 

でも、世界中が注目するビッグイベントです。

何としても観たい!

そうです。

もう一人同じ想いの人がいました。

アズマさんです。

僕の格闘技好きを知っていたアズマさんは、試合の前日、僕にこう言ったのです。

 

「オレの部屋で一緒に観いへんか。罰トレはオレとやろう」

 

こうして、世紀の一戦を僕はアズマさんの下宿で共に観戦したのです。

 

 

ところが翌年、春合宿も終わり入部して1年が経とうとしていた時でした。

アズマさんは突然退部を申し出て部を去ってしまったのです。

さらにはなんと大学までも辞めてしまったのです。

 

「世界を見てみたい」

 

こう言い残してアズマ先輩は僕たちの前から忽然と姿を消してしまったのです。

 

そしてその15年後。

アズマさんは再び僕たちの目の前に現れます。

まったく思いもよらぬ形で。

 

 

 

大学を卒業した僕はあるオフィス機器メーカーに就職し、札幌勤務となり、地元の女性と結婚し、縁もゆかりもない北海道の地で家庭を築き、31歳で地元の会社に転職し新たな人生を歩み始めていました。

そして、アズマさんが姿を消して15年という歳月が流れていました。

 

それは1992年6月のある晴れた朝のことです。

会社へ行く準備をしながら何気に見ていたワイドショーでは桜田淳子さんの結婚の話題を報じていました。

 

その時です。

家の電話がけたたましく鳴ったのです。

帯広の大島からでした。

そして、大島は興奮した声でいきなり言ったのです。

 

アズマさんがテレビに出てるぞ!

 

テレビならさっきから観ているが…、

 

「テレビって、どこのチャンネルだ」

「NHK以外全部出てるよ」

 

改めて目の前のテレビ画面を見てみると、

当時よりだいぶ痩せてメガネをかけ、かつての精悍な面影はなくなってはいましたが、あのアズマさんが何本ものマイクに囲まれながら映っているではないですか。

そうです。

桜田淳子さんの夫となるヒトとして

・・・

 

 

 

今年になり桜田淳子さんのカムバックについて取沙汰されており、夫である東さんのことも憶測を含めいろいろと書かれているようです。

 

僕には宗教のことはよくわかりません。

でも、40年前に英雄モハメド・アリと闘うテレビの中のアントニオ猪木に向かって、

 

「立って闘わんかい。イノキ!」

 

と静かに怒っていたアズマさんは、僕達にとって素晴らしい先輩であり、皆があこがれた男の中の男だったのです。

 


 

久しぶりに学生時代の先輩と会うことになり、40年近く前のことを突然書いてしまったのですが、後に部の主将となるアライさんとアズマさんはとても仲良しでした。

 

あの桜田淳子さんの結婚で日本中が大騒ぎする前日、アライさんのところにアズマさんから電話が入ったそうです。

 

「アライー。オレ明日テレビに出るで」

と。

 

 

かなり迷いましたが本人の了解なしに載せてしまいます(その代り小さくね)。

40年前の僕のスクラップブックに貼ってあったアズマさんの写真です。

でもアズマさんなら、ニッと静かにほほ笑んでこう言ってくれると思います。

「そんなのかまわへんで」

と。

最後の合宿となった春合宿での妙高山をバックにしたアズマさんの雄姿です。

ねっ、ステキでしょ。

 

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