2020112日私がiPhone11を買った直後の堀江氏のチャネルで公開された動画で「今年買った1番高いもの→iPhone」と答えており、タイミングや私庶民にとっては今年の高い買い物だったため自分のことに思えた。





20201123日号、堀江氏自身が出演するミュージカルのゲネプロのアリーナ席がプレゼントコーナーに出ます(乙91)。

20201117日に私は地元に帰省し(乙16)、18に実家に行きます。

2020129日に私は堀江氏出演の『クリスマスキャロル』の配信チケットを購入し、視聴します


この配信の終わりに堀江氏は「今から先着〇名に大阪公演を一万円(通常4万円のところを)で売る」との宣伝が流れました。

20201228日号、「10月19日と同じ店」「Ristorante (私の名前のローマ字)」とあります(乙93)。

2枚目、少子高齢化のニュースでよく私の地元が全国ニュースで取り上げられたりしますが、この号で私が検索した地元のことが問題であるかの部分を引用しています。私は1月前に地元の写真を撮り、ネットでよく検索していたのでタイミング的に自分事のような話題でした。「近況報告」では店名を私の名前のものを書いて私の注意をひいています(乙94)。

202113日号、「堀江氏と直接話せるプレミアムな機会」のチケットがメルマガの最初に表示されます(6月の部分に記載)。


3枚目、「高嶺」「秀一」「(数字)」と書かれています(乙101。私が通った中学の文化祭が「高嶺祭」、私の叔父の名が「シュウイチ」、私の生まれが上記数字など、1枚目の私と共通する文言を意図時に探して発信しているように見えました

202134日、堀江氏のYouTubeチャンネルで『ホリエモンが生命保険を掛けない理由が意外と深かった!?』という動画が出ます。

1年前の34日に母が死亡したのでこの日は1周忌でした。私は葬儀で喪主を務め(乙15)、母の死に伴う役所関係の手続きもお墓の契約も(乙16)、各保険解約など、すべて私が私の名で行っています。20204月にFacebookに英文の部分に母は手紙を残していたことを私は書いています(甲113-7)。

堀江氏は約10分ある動画の中で、前半に堀江氏は「自分が死んで誰かがお金をもらうのは物騒だと思う」「自分が死んだ後のことなんて考えたくない」「自分が死ぬなんて考えたくない」「終活とか遺言とか意味わからない」「死んだ後の事なんて考えてもしょうがない」「(保険料の支払いについて)早く死なないと損をする」など「死」という表現を連発しました。6分以降は以下の様に話しています。「(自分が死ぬのに)そこまでケアする必要があるの?」「守るべき人とか考えちゃうのが面白い」「金さえあればいいのかよっていう、えぐくない?」「遺産相続の話も気持ち悪いもん見てて、みにくいなあと」「金でしか愛情表現できないのかって思っちゃう」「どんだけ自分に自信がないんだよ」と最後の4分で話しました。

私が1年前に手続した遺言、保険、相続などの単語を出し、それが丁度一周忌と同じ日で、自身の感情や考えだけを優先し悪意を感じるレベルの発言を連発した動画を出しました。

ちなみに私はネットのどこにも母の命日が34日とは書いておらず、死を知ったのは35日なのでインスタグラムは35日で止まっていました。

202138日号、”○県ツアーとありますが、次の週の号からいくつも私の地元県の話題が出てきます(乙103)。

2021315日号、「地元地名」や「○温泉」とあり、「大宮の乗り換えで」とあります(乙104)。

私は前年1117日に帰省した際、東京からではなく大宮から新幹線に乗ったのでした。

2枚目、温泉の話題が出てきます(乙105)。

3枚目、湖から地元駅が出てきます(乙106)。

4枚目、3月になり「鼻毛警察」という単語が出て、「TANGA発射」など、それ以外にも嫌悪感を抱く内容が2021年になりいくつか見られるようになりました(乙107)。

5枚目、「※特別コンテンツ」というコーナーでも○温泉を取り上げています。(乙108

6枚目、湖の話題も別のコーナーに出てきます。(乙109

2021322日、母の命日と同じ3月に出版する自身の本で『死なないように』というタイトルも悪意を感じました


私は3月下旬に堀江氏のメルマガ解約手続きをし、3月で購読終了します。

2021329日号「4」のニュース…私は1年前80の客が外国人のホテルで働いており(乙1011)、オリンピック需要を期待していましたが、2月からコロナ理由でのキャンセルが相次ぎ、私の元職場の状況と重なる内容でした。意図的に「死活」という単語のタイトルを選んでいると考えました(乙112)。

2枚目、ひきこもりの話題が出てきます。このページの下にとありますが、これは私が著書を読んで、実際に話を聞きにいった○氏が著書でよく使っている表現です(乙113)。