俺は自分の、血液で赤く染まった手を恐る恐る見る。
紛れもなく人間の生々しい血液だ。
俺は罪を犯してしまった。とんでもない大罪を犯した....。罰せられるべき悪徳だ。こんなの許されるようなことではない。しかし、俺は本当に嘘偽りなく、何の冗談でもなく
ただ、反射的に...
殺人をした。
認めたくなかった。どうせ夢に決まっていると。
元々この状況下が可笑しいのだと。
しかし、幾らそう思念しても夢から目覚めることはない。
もう、認めざるをえなかった。
自分のあの残虐な姿を人に見られ、もしどんどん伝播していったらどんな不幸な後先が待っているのか直ぐ想像がついた。
だから俺はそれを直ちに防ぐためにも、殺人をしたまでだ。
非常に論理的で理に敵っている。
しかし、合法ではない。
殺人とは大罪だ。
この六帝国では極刑にされるほどの大罪...。そんなことを俺はしてしまったのだ。しかも、自分の身に危険が及ぶからと言う、自分勝手な思考で...。
何て邪悪な人間なんだ。
そうだ。俺は昔から何も変わっちゃいない。
妹のためにではなく、本来は自分のために迷宮探索を始めた。
にもかかわらず妹が帰らぬ人となった時は盛大に泣き崩れた。
所詮これは欺瞞だ。
妹を救うために迷宮探索をすると言う嘘の仮面を被り、その仮面の下の素顔はただ苦しんでいる妹を見ると、自分までもが、苦しくなるという顔が隠蔽されていた。
つまり、同情し、同じ状態になることで、自分自身は妹のためなら何んでもできる、精神が温厚な兄だと認識したのだ。
俺は元々頭が可笑しかった。
こんなわけのわからない事を...。
そして唯一の家族をそのまま何もまともなことをしてやれず死なせた。
結局これも殺人と何ら変わりはないじゃないか...。
畜生....。
俺は真っ赤に染まった手を関節が外れるほど力強く握りしめ、過去の失態と今の失態の両方を悔やんだ。
いや、
自分の人生の全てを悔恨した。
俺の人生は儚いものだったはずだ。
しかしある人の手によってそれは尊いものとなった。
それは10年前に遡る...。
当時は三帝国しかなかった。
そしてその三帝国間に、戦争があった。
暗黒の1年間。
そう呼ばれた。その名の通り暗黒にも似た戦火が各地で起きた。
場を選ばない総力戦によって幾多の人間は何の抵抗もできず無残に戦争中の闘争に巻き込まれ死に絶えた。
その時、俺もその場にいた。
大草原だった焼け野原で人の声という声で溢れかえっていた。叫び声、絶望する声、威勢を上げる声、苦しんでいる声。
どれもこれも聞いているだけで吐き気が襲ってくるほどの残酷な音だった。
その発生源は、傭兵達が剣や槍みたいな武器を手に持ちお互いに斬りかかる人々。
戦場でが剣を天高くに突き出し雄叫びを上げる人々。
荷物を持ち逃げ惑う人々。
戦場を目の当たりにし硬直し、身動きが取れなくなっている人々。
阿鼻叫喚な光景は目前に広がっていた。
俺はただ呆然とそれを妹と二人で見て感じることしかできなかった。
両親は俺たちを置いて行きもう何処かへいってしまった。
戦場に取り残された。
不思議と涙は零れなかった。
なぜなのかははっきりわからない。
家族に愛着がなかったら?
そういうわけではない。おそらくは今までも全て何の支障もなく人生を送れた。だから、絶対なんとかなると。
しかし、そんな好都合に物事が運ぶわけがない。
いつまで立っても両親は来ない。
だから俺と妹の二人は歩き続けた。
無意識に歩く。歩く。歩く。
靴がなくても気にも留めず、歩く。
感覚器官が機能しなくなるほど、石や岩で形成されいる凸凹な道を歩いても足には何の痛覚も感じない。
感じるのは必ず助かるという希望だけだ。
それ以外のことは何も考えなかった。
そしていつの間にか戦場のど真ん中に居た。
四方八方には剣と剣を交えた時に出る鉄音が重なり、何とも悍ましい不協和音が耳に共鳴した。
これは悪魔の叫びだ...。
悪魔が殺してやる...!殺してやる...!
と言っている。
俺と妹はどうすることもできず耳を塞いだ。
それでもその手と耳の僅かな隙間を掻い潜り、耳に木霊する。
頭から離れない。
細く甲高い音が恐怖を連想させる。
俺と妹は、希望から絶望の念を抱いた。
あぁぁもうどうしようもないと。
ついには人生という試合をリタイアした。
そこで一人の若い傭兵が俺らの元へと駆けてきた。
「大丈夫か君たち。今すぐ安全なところへ避難するんだ。」
そう言って携えていた武器を捨て、俺ら二人を両手でしっかり持った。
そこに、味方傭兵が彼の元に行き、こう言う。
「お前、そんなことをするな!戦場では常に勝利を考えろ!人間の命の一つや二つそこに捨ててしまえ!死にたいのか...!?」
「この子達はまだ幼いんだぞ!放っておられない!」
「お前、その年にしてお嫁さんがいるんだろ。あいつはどうするんだ。お前に帰ってくるのを神に懇願しているはずだ!見捨てるっていうのか!もう一度、いや...もう暮らしたくねぇ...のかよぉ...」
「....。」
彼は僅かに顔を逸らし、バツの悪い顔をした。
こんなの一択しかないだろう。赤の他人と身内。ましてや今まで一番愛した人。なぜ悩む必要がある?
俺にはわからなかった。
「これは僕が決めたことだ」
「そうか...。なら可愛い後輩のためにもサポートしなくちゃーな。」
「....いいんですか。」」
「ああ。」
そういって男は鞘から剣を外す。
そしてそれを構え彼の方向へと走る。
「....え。」
そして、男は剣を突く。
その方向には彼がはいなく、その後方にいた敵軍の者が居た。
血が溢れる。
喉に刺さった剣を抜き取る。
「サポートする、つったろ?」
彼は感激の目をしていた。
俺には理解できなかった。なぜ賛同したのか...。
そして彼は俺らを腹に持ったまま、戦場を抜け出すように走る。
その振動が体にも伝わって来る。
すると、前方に敵軍の者が現れた。
彼には武器がない。
敵を迎撃することはできない。
しかし、それでも止まらず走り続ける。
槍や剣がいくつか身体を掠めた。
腰を低くして敵を押しのけ、根性で抜け出す。
後方をみると、死に物狂いで剣を振り回している男が居た。
男は全身血だらけだ。俺らを通させるために敵を攻撃して居たのだ。
男は最後に微笑し、首を断ち切れた。
それを見た彼も笑みを返す。
またしても俺には理解できなかった。
戦場から抜け出し、焼け野原を縦横無尽に疾走する。
彼は何度も転倒しそうになり、意識も朦朧としている。
ただただ何かを求め走り続ける。
すると小さな町が見えてきた。
途端に彼は地面に倒れた。
それと同時に俺らは外へ投げ出される。
彼は身体中に幾つもの傷を負っており、意識が混濁としている。
しかし、顔だけ笑っていた。
何かを成し遂げた時の喜悦の顔だ。
俺にはまたさっぱり理解できなかった。なぜ彼はこれまでするのだろうか。
酷く大きな罪悪感が俺を襲う。
赤の他人である自分らのために命を投げ打ってまで助けた理由がわからなかった。
そして彼の口から言葉が漏れた
「人間とは...弱い生物なんだよ...」
掠れた声でただそう言った。
俺には何を言っているのかわからなかった。そして続いてこう言う。
「君たちには生きて欲しい...。最後の最後まで。僕とは違って命を大切に使って欲しい...。」
彼は何を求めているのかわからなかった。
俺はただ呆然と彼を眺めることしかできなかった。
「僕は理想を追い求めていたのかもしれない...。」
最後に苦しい顔でそういって彼は息を引き取った。
最後の最後まで彼の求めたことはわからなかった。しかし、彼の言ったことは妙に頭から離れなかった。
ずっと心の中に残り続けた。
今は彼の追い求めたものがわかったような気がする...。